内田也哉子さんの『新装版 ペーパームービー』を読了。
購入の決め手はサイン本でしたが、エッセイスト、女優など、どんな肩書きよりも、内田裕也さんと樹木希林さん(過ごした時間は樹木希林さんとが圧倒的)を両親に持ったという環境への興味強く、
その部分、
母・樹木希林さんの薦めに応える形で、九歳の時にニューヨーク留学が決まった際
” いつも、どこに行くのでも私を一人で行かせていた母が(この時が最初で最後ではあったが)なんと、現地まで同行してくれるというのだ。
本当にびっくりしている私に、「だって、相手の家族の方々にあなたがお世話になるのだもの、ごあいさつしに行かなきゃならないでしょ」と母は言った。
・・中略・・
ケネディ空港の近所にあるホテルで一泊して、日本を発った二日後にやっと私の夢見た大家族の家にたどり着いた。
そして、まるで昔からそこに暮らしていたと錯覚するほどアッという間に私は周りに溶け込んで、私がエイミーという三つ年上のお姉ちゃんと近所の子供たちと思う存分遊んで帰ってきた時には、もう母は居なくなっていた。
いつでも母には驚かされていたが、この時ばかりは、そのあっけなさにガク然としてしまった。”(p21)
という何となくらしさ漂ってくる述懐に ^〜^;
” 幼い頃、私は暴力少女だった。自分の気に入らないことを誰かに言ったり、やったりすると、どういうわけか言葉よりも先にゲンコツパンチをくらわせるのだ。
痛いのは勿論のこと、私の一撃を受けた相手は大抵ビックリして泣き出してしまった。”(p30)
とこちらはDNAを感じさせられるような振り返りに、
やはり個性強いお二人の娘さんと感じられるエピソードが散見され、読前の期待に沿う内容でした。
樹木希林さん、内田裕也さん・・ そして内田也哉子さん
本書は、
” この本は、今(一九九五年十月頃から十二月までの今)の私が人生十九年目にして、思わず書いてしまったものを集めたものです。”(p138)
というオリジナルが、2021年11月に新装版として発売され、巻末には
” 十九歳だった私と、三十歳の私とでは何が違うのだろうと考えてみる。”(p144)
との一文が序盤に入る(文庫化に際しての)「文庫版あとがき(一)」に、
” 初めて原稿用紙の升目に文字を綴り、その束を「ペーパームービー」(紙の映画)と名付けてから四半世紀が過ぎた。”(p167)
という新装版発売にあたっての「三度目のあとがき」と、版が改められるごとの回想に、十九歳の内田也哉子さん軸に、
当初少なからず(強い)影響を受けていたご両親との思い出話しから、
” 本書の真髄をなす母親、そして、父親を続けて見送った。こうしてみると、私は止まることのない時計の針と共に、ひたすら時を重ね、たまには一時停止したいと切願しつつも、時は待ってくれないところにこそ人生の醍醐味はあるのかもしれないと四十五歳にして今、思う。”(p168)
とクロニクル的な読み方も出来る(新装版は)構成になっています。
内田也哉子さんといえば、個人的にお父さま(内田裕也さん)の葬儀での弔辞が印象に残っていますが、
内田也哉子さんの独特の感性に、(特に)昭和を生きた人たちには子としての立場からみた内田裕也さん、樹木希林さんに触れることの出来る貴重な著書でもあるように思いました。