10日前(2023/2/15)に ↓
中間記をアップロードしていた堀江ガンツさんの『闘魂と王道 昭和プロレスの16年戦争』を読了。
プロレスが凄まじく火花を散らしていたあの頃の・・
(中間記後)読み進めた中で
” このブッチャーとシンを引き抜いたことが号砲となり、両団体は本格的な引き抜き合戦を開始。新日本はディック・マードック、タイガー戸口らを引き抜き、全日本はチャボ・ゲレロ、上田馬之助を抜き返す。互角と見られていたこの引き抜き合戦に決着をつけたのが、スタン・ハンセンの全日本移籍だった。”(p311-312)
と新日本プロレスリングと全日本プロレス間で散らされた火花(の断片)に
” 全日本だって、豪華外国人を呼びすぎて税務署に源泉徴収分を払えなかったことで、日本テレビが経営に介入して、馬場さんは社長から会長に棚上げされたくらいですから。それくらい、当時のプロレス団体にとって、外国人選手を呼ぶことは最も大きな経費だったんです」”(p299)
と生々しい振り返りに、
何より
” 試合開始直後からトップギアに持っていくような長州と藤波の戦いぶりは、「ハイスパートレスリング」と呼ばれ、それまでの序盤からフィニッシュまで、じわじわと盛り上がっていくプロレスのスタイルを劇的に変えてしまった。
さらに長州と小林ら維新軍のアンチ・ヒーロー人気により、ベビーフェイスvsヒールという図式が崩れ、力道山時代からの伝統であった日本人vs外国人の戦いも日本人同士の闘いへと変わっていった。”(p353)
に
” こうして、前田が潰されるかもしれない警戒心を抱きながら挑んだニールセン戦は、緊張感溢れる異種格闘技戦史上に残る名勝負となり、苦しみながらも4ラウンド逆片エビ固めで勝利した前田は人気が爆発した。
一方、猪木vsスピンクスは凡戦に終わり、43歳の猪木から27歳の前田へ、「新旧格闘王交代」をファンに印象付ける結果となってしまった。
前田は、猪木と直接闘わずして「勝った」のだ。”(p460)
あるいは
” 時代は猪木から前田へ移り、それと同時に大衆がテレビで観るプロレスは終わりを告げ、特定層が熱狂的に支持するサブカルチャーとなった。1987年は、その巨大な転換期だったのだ。”(p501)
といったプロレス史の転換/流れが、そこに至る過程を伴って明瞭に整理されていて、鈴木みのる選手目当て↓で
入手した著書でしたが、全590ページに見合う読み応えを得られ、特にアントニオ猪木さんがリング内外で遺された足跡に改めて敬意を表させられる読書機会となりました。