作家 伊東潤さんの『家康と淀殿 一睡の夢』を読了。
年初(2023/1/10)開催された ↓
本書刊行記念トーク&サイン会で入手していた著書。
悲願と生きざまと
満を持して手に取った本書の概要は
” 政治の中心が徳川家に移行したとはいえ、豊臣家中には淀殿(茶々)をはじめとして、復権を図ろうと、虎視眈々と時を待っている者が多くいる。
それを抑えていくためにも、家康は自らが権限を放さず、また長命を保っていかねばならないと思っていた。”(p111-112)
というご時世下、
” すでに二人の兄は鬼籍に入っていたので、秀忠の地位は揺るがない。そのため謙遜ではない本音を言ったのだろう。
「そなたは凡庸だった」
「分かっております」
秀忠が肩を落とす。”(p296)
と自身の没後、徳川家での安定的な世襲を図るべく徳川秀忠に未来を託し、
” 家康は天下を次代に伝える難しさを感じていた。それは信長も秀吉も成し得なかったことだった。”(p434)
と先人たちが成し得なかった継承に、晩年の徳川家康が豊臣家の処遇を巡ってさまざま行われた駆け引きが読みどころ。
500ページに迫る大作が結末が近づくにつれ、最も刺さったのは
” 江を頼れば、秀頼は天寿を全うできるかもしれない。だが、どこかの寺に幽閉され、昼夜を問わず監視される日々は、屈辱以外の何物でもない。それが豊臣秀吉の息子にふさわしい生涯かと問われれば、否としか答えられない。しかも生殺与奪の権を、憎みても余りある徳川家に握られているのだ。
ー 誇りを失ってまで生きてどうする。 “(p452)
という豊臣秀頼をはじめとする豊臣家各々の生きざまで、読後、非情さに無情さに襲われたのと同時に、貫かれた見事さに大いに読み応えを得られました。