日本トップリーグ連携機構会長 川淵三郎さんの『キャプテン! 日本のスポーツ界を変えた男の全仕事』を読み始めて
「キャプテン」とは?
はじめに
特別対談 川淵三郎 x 栗山英樹[2023WBC日本代表監督]W杯とWBCが見せたシン・スポーツの力
第1章 日本初のプロサッカーリーグの夜明け
第2章 スポーツ界、日本社会を変えたJリーグの革命
第3章 日本でもっとも注目される集団・日本代表を作る
第4章 「キャプテン」として臨んだ協会改革
第5章 2つ目のプロリーグを誕生させ、2度目のチェアマンに
第6章 見えないキャプテンマークと生きる
エピローグ スポーツを愛する一人として
芝のグラウンドがスポーツの未来を拓く
日本スポーツ界と川淵三郎の歩み
と章立てされているうち、「第2章 スポーツ界、日本社会を変えたJリーグの革命」まで読み終えたので、そこまでのおさらい。
川淵三郎さんと思いを支え応えた人たち
全339ページ(別途「年表 日本スポーツ界と川淵三郎の歩み」)中113ページまでになりますが、印象に残ったところでは、
” 川淵 もっとも大きい成果は、スポーツを企業だけではなく、地域の財産にできる仕組みが日本中に定着したことでしょうか。”(p35)
と対談相手の栗山英樹前監督から
” Jリーグの30年を振り返って如何ですか?”(p035)
との問いに回答され、本書及び川淵三郎さんの業績の肝となる(=日本スポーツ界を変えた)であろうやり取り(の断片)に、
” 鹿島町も、茨城県も、住金も大変熱心ではありました。その熱心さを何とか傷つけないように諦めて頂こうとの思いから、99.9999%可能性はありません、と伝えました。”(p070)
Jリーグ創設時に加入を熱望するも絶望的状況であったところから
” 私は、知事(竹内勝男)の特命事項を宿題として預かっていました。「臨海コンビナート」を鹿島町に県主導で建設したのに、結果的には単身赴任の町になってしまった、若者、女性、子どもたちが住みやすい新しい町づくりを考えて欲しい、と知事に命を受け、スペイン大使館に勤務し、サッカーで国中がお祭りのような活気に包まれるのを目の当たりにしていた経験から、鹿島もサッカーで町おこしができないか、と考えていました。”(p075)
出向先の茨城県庁商工労務部長の座で地域活性化の命運を託されたいた北畑隆生さんが、
” 観客席に屋根を付け、椅子も独立式で1万5,000人を収容できる日本初のサッカー専用スタジアムでも造ってくれるんだったら考えますよ “(p071)
という川淵三郎さんの苦し紛れの無茶ぶりに奔走され、鹿島アントラーズが劇的に産声を上げることになったエピソードに、
“これから始まろうとするプロリーグの精神は、何を置いてもフェアプレーにある。審判と判定に最大限の敬意を払い、全力でフェアに戦う。
その精神がJリーグ、日本サッカー協会が目指すサッカーである、という強いメッセージを込めました。久米はその思いを形にするために、イギリス皇室の御用達でもあるロンドンの高級宝石商「ガラード」へ赴いて、実際のデザインや費用の交渉を1人で担当していました。”(p096)
と優勝チームに授与されるシャーレに込められた思い、それを形にするも残念ながらお亡くなりになられてしまったJSL(日本サッカーリーグ)事務局長/初代Jリーグ事務局長 久米一正さんとのやり取りに、我々が目の当たりにしたものはさまざまな人の思いが結晶化されたものであると認識されました。
また、
” 川淵さんと話をしていて「サッカーのために」とか、「Jリーグの将来のために」と聞いた試しがありません。”(p112-113)
という村井満 Jリーグ第5代チェアマンのお話しは、本書出版記念イベントで↓
都並敏史さんが仰られていた川淵三郎さんのサッカーに限定されないスポーツ(全般)愛は、既述の栗山英樹前監督との対談でも滲み出ていて、全仕事の根底にある思いであったものと興味深かったです。
と、ここまで川淵三郎さんをはじめ尋常ならざる熱量持った人たちの記録に惹き込まれており、これからもその流れが継続していくものと控えている内容が楽しみです ^^