先日、中間記をアップロードした『知的幸福の技術 自由な人生のための40の物語』を読了。
前回時点で40話あるうちの24話読み終えていたので、残り16話(のはず)。
「資産運用」「市場経済」「よくある質問とその回答」「正しさの問題」などの項目から
印象に残ったストーリーを3話引用すると・・
33 自分だけ刀を研ぎ澄まそう
” 大学院や専門学校で資格を取得したり、語学学校に通うことが流行している。これを「自分への投資」という。
大衆社会では経済理論も大衆化する。
だがこうした投資は往々にして無駄に終わることが多い。
資格や能力に価値があるのはそれが稀少だからだ。
片言の英語が話せるからといって収入が増えるわけではない。
弁護士が高給を得られるのは需要に対して人数が少ないからだ。
少数の人間が大きな利益を手にする以上、ゲームの参加者の大半は損をしている。 ・・中略・・
個人の優位性を「エッジ(刃)」という。誰もが自分のエッジを持っている。
人的資本への投資とは、試験でよい点数を取ったり資格の数を増やしたりすることではない。
自分だけの刃を研ぎ澄ますことだ。” (54-55%/百分率は紙の本でいうところのページ数に相当/以下同様)
39 自分探しの旅の終わり
” 大学の図書館で奇怪な哲学用語に満ちた分厚い本を手にしたことがある。
暗号の如きその書物はほとんど理解不能だったが、「人は常に他者の承認を求めて生きている」と述べたくだりは記憶に残った。
・・中略・・
儲かる商売に参入者が少ないのは、それが他者の承認を得られない汚れ仕事と見なされているからだ。
欲望という底なしの需要に対して供給が限られれば、当然そこに超過利潤が生まれる。
違法だから儲かるのではなく、その背後には経済的な必然がある。
他者の承認を得るもっとも簡単で確実な方法は、自分の価値観を他者と同じにすることだ。
・・中略・・
ところで、あなたの欲望が他人の欲望であり、あなたの幸福が他人の幸福だとすれば、あなたはいったいどこにいるのだろう?
豊かな社会では「自分探し」の旅が流行するが、たいていの場合、探すべき自分は最初から存在しない。
人は誰からも承認されない人生に耐えることができない。
一方で他人の欲望を生きる人生は破綻を免れないだろう。大衆の欲望は無際限で、渇きは永遠に癒されない。
幸福のかたちを見失う理由は、たぶんここにある。” (62-63%)
40 いつの日かその扉を開けてみたい
” 自由とは人生に複数の選択肢を持つことだ。国家であれ会社であれ、経済的に第三者に依存し、
そこにしがみつくしか生きる術がないのなら、新たな一歩は永遠に踏み出せないだろう。
自由に生きるために一定量の貨幣が必要なら、与えられた資源を有効活用し、最短距離で目標に到達することで人生はより豊かになるはずだ。
経済合理的に行動すべき理由がここにある ー 。
自由や富が幸福な人生を約束するわけではない。
それは未知の世界を旅する通行証のようなものではないだろうか。” (63-64%)
変わりつつある世界に、変われる自分自身
3冊目の橘玲本でしたが、時代認識をはじめとするマインドセットとスキルが解かれている中で
橘さんが時代を生き抜こうとするものたちへ向けたマインドセットを再読する意味合い(意義)を強く感じ、既述の
” 経済合理的に行動すべき理由がここにある ー 。”
と共に、本書で主張が強く感じられたのは、下記のメタファーを用いられて語られた・・
” どんなに素晴らしい技術を持っていても、ボールが来なければスルーパスを通すことも、ゴールを奪うこともできない。
サッカーとは自由と選択のゲームだ。選手はフィールド内を自由に移動し、刻一刻と変わる状況の中で
常に最適なポジションを取ろうとする。試合の間じゅう、一ヶ所に突っ立っていたのでは、最初から勝負にならない。
決定的なパスを通すためには、常に複数の選択肢を持っていなければならない。
パスコースが一つしかないのでは、相手ディフェンダーに簡単にボールを奪われてしまうだろう。
旧来の価値観が解体し、急速に変わりつつある世界の中で、自分と家族の人生にとって最適なポジションを確保すること。
複数の選択肢から自分の人生を選ぶ自由を手放さないこと。私が言いたいのは、要するにこれだけだ。” (74%)
の部分。
今、自分自身が直面している命題が「橘玲」というフィルターを通じて知らしめられました。