アントニオ猪木さんの実弟 猪木啓介が明かす兄の実像:『兄  私だけが知るアントニオ猪木』読了

アントニオ猪木さんの実弟 猪木啓介さんの『兄  私だけが知るアントニオ猪木』を今朝読了。

先月(2025年3月)開催された

<< 2025年3月19日投稿:画像は記事にリンク >> 弟から見たアントニオ猪木さんの生前の姿が胸に響いた:『兄 私だけが知るアントニオ猪木』刊行記念 猪木啓介 ・藤波辰爾トークショー 参加記

刊行記念トークショーで入手していた著書。

” 本書は、猪木家の末弟である私から見た、5歳年上の兄・猪木寛至の「人間の記録」である。ブラジルへの移民、力道山との出会い、新日本プロレス、政治と事業、4度にわたる結婚、そして晩年の兄弟断絶と闘病。70年余に及んだ兄弟の歴史を、すべてここに記した。”(p5-6)

という主旨で、数多に及ぶであろうアントニオ猪木本が出版されてきた中、

” 新日本プロレス時代からそうだが、兄貴は一切、雑誌や新聞記事の類を読まない。取材は受けるが掲載された記事は読まないし、本を出しても、自分で原稿を書いているわけではなく、内容をチェックするのは側近かマネージャーだ。”(p237)

と記載される中、アントニオ猪木さんご自身のフィルターは当然の如く通っていませんが、血縁、身内の立場から書かれた貴重な著書であろうと注目した次第。

記述には

” 兄貴自身も珍しい野生動物が好きだった。まだ新日本プロレスを旗揚げしたばかりの時代、小さなライオンを自宅で飼っていたことがある。  ・・中略・・

「兄貴、小さくても危ないよ」と忠告したところ、傷だらけになった腕を見せて「そうなんだよな」と一言。”(p147)

とアントニオ猪木さんらしさ溢れるエピソード ^^; あれば

” ただ、すでに兄貴も他界しており、言葉を濁すような必要もない。ここで本当のところを説明しておきたい。

まず、兄貴は「一過性の脳震盪を起こし入院したが、無理を言って翌日には退院をした」と自伝で説明している。病院を抜け出したときには日付が変わっていたから、ある意味では間違っていないのかもしれないが、当時の新聞報道によれば、退院したのは「午後1時」となっている。報道されているとおりの意味だとしたら、それは事実と異なる。病院を抜け出したのは深夜2時だ。”(p174)

と昭和プロレス史の事件簿 IWGP ハルク・ホーガン戦の最中に起きた猪木舌出し失神事件に、タイガー・ジェット・シンと白昼路上で一悶着した新宿伊勢丹襲撃事件等の解明(猪木啓介さんの推量を含む)、

既述の刊行記念イベントで猪木啓介さん、藤波辰爾選手から本書に頂いたサイン

そして

” まず、兄貴は周囲に愛されすぎた。「我こそは猪木の側近なり」と自負する人間が多数いて、兄貴の周りにはいつも嫉妬や反目が生まれた。もちろん、猪木利権の役得も大きい。さまざまな欲得をめぐる感情が渦巻き、それはときに大きなトラブルを引き起こす。兄貴は、そうした起こる問題に一切手を打たなかった。かくして「猪木政権」における官房争いは延々と続き、国が治まることはなかったのである。 “(p213)

” 天使と悪魔が同居しているようなアントニオ猪木の内面を理解するには、海のような広い心を持たなければならない。私はとてもその境地に達することはできなかったが、それが人間存在を理解するための要諦であることを、兄貴は教えてくれた。”(p283)

と幼少期から長きに渡る関係性が継続していたからこそ踏み込めるアントニオ猪木こと猪木寛至さん像がページを捲るほど伝わってくる思いを抱き、事前の期待に沿った読後感を得ることが出来、改めてアントニオ猪木さんが我々に遺してくれたことに思いを及ばされました 🙏


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