オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所:オーストラリア人の国民性、価値観、社会通念 ④ ー 判官びいき

下記の記事は、Facebookページ「オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所」9月6日付の記事を転記したものです。

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オーストラリア人の国民性、価値観、社会通念 ④:判官びいき

” 権力に対しては昔から抵抗感がある。特に警察権力に対しては拒絶反応が強い。これは植民地時代のなごりである。

イギリスから遠く離れたオーストラリアに島流しにされた囚人たちは、過酷で非人間的な囚人生活の中で、囚人を監督した権力者に対してこの上ない憎悪と不信感を抱いていた。”(『豪州読本』10%)

これには「ユーレカ砦の反乱(Eureka Stockade)」と称される歴史的な事件がオーストラリア人のDNAに深く刻み込まれているとして、それは・・

” 1854年12月3日の日曜日にビクトリアのバララットにおいて、金鉱採掘者が団結し時の国家権力に対抗した事件である。

当時、金採掘者には、政府に免許料を支払う義務があった。植民地政府にとって免許料は重要な歳入減であり、何度か値上げを行った。このことにより採掘者の不満が蓄積していた。

さらに政府は、許可証の所持を徹底し、警察官に絶大な権限を与えた。そして免許を持っていない者に対して、当時では大金である5ポンドを罰金として科した。その半分は警察官に対する報奨金として支払われた。

囚人上がりの警察官はこの権限を濫用し、目こぼしのための賄賂を公然と要求していた。政府は財政難を理由にさらに徴税を徹底させ、免許証のチェックをより厳しくするようなった。

また警察官の勝手気ままな行動に不平不満が増殖し、政府と採掘権者の間で小競り合いが頻発するようになる。

採掘者は、植民地当局者に再三再四、陳情を行い、不公平な法律の改正、不正の排除、免許料の廃止などを訴えた。しかし、当局の反応は冷たいもので、一向にらちがあかなかった。

武力に訴えず、話し合いで解決しようという努力は報われず、鉱夫たちの不満がより高まり、力を持って事に当たる機運が強くなった。”(同 6%)

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「ユーレカ砦の反乱」に関する話しがまだあるので、次回に続けます。


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