普段より、ちょっと早く上がって、紀伊國屋ホールで開催された野村監督こと野村克也さんの新刊刊行記念の講演会に。現中日ドラゴンズの落合博満GMの講演は計4回行っているはずですが、野村さんは初めて。
新聞紙が飛びつくような時事的な話題は抑え気味で、ご自身の幼少期からプロ野球の世界に足を踏み入れられた頃やヤクルト監督時代のお話しなど。
数々の野村語録は、苦難の人生経験から
TVでは放送禁止用語になってしまうので、通常語られる事はないものの「しっかり仕事をしていれば、見ている人は見ている」といった意の人生訓や
努力するなら「努力して成果が上がる事を見極めねばならない。」野球の場合、速球を投げる事は努力で難しくとも、コントロールは努力で身に付けられる。
野村さんは、幼少期貧しかった事から、大人になったら絶対お金持ちなると強く念じていたそうですが、最初、志した歌手(音楽)の道は一生懸命頑張っても、通信簿の成績が「良」止まりであった事から、一転して俳優の道へ。
映画館に通う事とするが、お金が無い。そこで、がたいの良い大人の背中越しに忍び込んで、帰宅しては台詞の練習に励んでいたそうですが、当時の認識では映画俳優=美男のイメージがあり、ある日、鏡に写された自身の姿を見て断念。
野球をしている機会に周りから誉められる機会が多いからと、自分には野球しかないと、そこから野村さんの野球道が始まるワケですが、
大打者の歩みには、ちょっとしたズルも
南海ホークスの入団テストでは、遠投の際、規定の線をちょっと踏み越えて辛うじてクリア。近くに「いいよ、いいよ」という感じではやしかけた先輩が居たようで、
プロ野球界で王貞治さんに次ぐ主要打撃記録を持つ大打者にして名捕手、名監督も、幾多の困難を乗り越えられての事や人との出逢いも大きく左右され、築かれた金字塔であったとの事。
何となく頭で分かっていた事も、ご本人の口から直に聞くと実感がこもっていて、実に印象的な時間でありました。
最前列に届くぼやきには忘れ得ぬ感覚も。