下記の記事は、Facebookページ「オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所」10月25日付の記事を転記したものです。
ネッド・ケリー ②
” ネッド・ケリーはビクトリアの片田舎に、すでに記述したユーレカ砦の決起が勃発した年の1854年に父親のジョン・レッド・ケリーと母親のエレンの長男として生まれた。
父親は、1841年、2匹の豚を盗んだ罪で、7年の刑でアイルランドからオーストラリアに囚人として流された。ネッドが生まれたのは、父親が刑期を終え、同じアイルランド人であるエレンと結婚してからである。
ネッドに関しては、彼が小学校に通っているとき、危険を顧みず川で溺れかけていた9歳の小学生を助け、街の人びとはこの勇気ある行動を称えたという逸話が残っている。
ネッドが12歳のとき父親が死亡。8人兄弟の長男であったネッドは、その日から大黒柱として家族を養っていかねばならなくなり、日夜汗水たらして働いた。16歳になるまでに暴行と馬泥棒の汚名を着せられて逮捕され、3年間刑務所の入れられた。
しかしこれは、後日、無罪と判明した。その後、ケリー一家に以前から目を付けていた巡査が、ネッドの弟を馬泥棒の疑いで逮捕にやって来た。このとき小競り合いになり、巡査が手首に怪我をした。
その怪我は、母親が発砲した銃によるものだと勝手に決め付けられ、母親は殺人未遂容疑で逮捕された。ネッドは、母親は無実だと当局に訴え、自分が母親の代わりに出頭するとも提案した。
しかしこの申し入れは受け入れられず、弟とネッドはやむをえず近くの山に避難する。他2人の友達とともに4人組のブッシュ・レインジャーがここで誕生することになった。”(出典『豪州読本』10%)
前回、ネッド・ケリーについて私が「如何ほどの浸透度であるのかは計りかねますが」と書きましたが、ざっと調べていたところ
ローリング・ストーンズのミック・ジャガーや将来を渇望されながらも若くしてその生涯を閉じてしまったヒース・レジャーがネッド・ケリーを演じた映画が製作されています。
作品情報:① Ned Kelly (film, 1970)、② ケリー・ザ・ギャング
キャスティングからすると、かなりのビッグネームが抜擢されており、歴史上の重要性とともに人びとを魅了するストーリー性(生涯)うかがわれます。あと1、2回分の分量が残っており、後日続けます。