朝、Facebookにアクセスして真っ先に飛び込んできた記事が下記
PANTERAのギターリストとしてロックシーンに衝撃を与えたDimebag Darrel :ダイムバック・ダレルが、
コンサート中に会場に押し入ってきた者の凶弾に倒れて11年。
DimebagとVAN HALEN
VAN HALENの情報サイト(VAN HALEN NEWS DESK)に掲載された記事は・・
Dimebagの最期の言葉の一つが 「VAN HALEN」 であったこと。埋葬に際し、Eddie Van Halen の画像にあるデザインのギターが共に埋葬されたことが綴られています。
日本とアメリカで時差があるため、何となく頭には入っていましたが、
この時期(12月8日)を迎えると、複数のメディア、ファンから追悼の念が示され、その都度、Dimebag が
ミュージックシーンに与えた影響の大きさと共に、プロフェッショナル、ファン双方から大きな存在であったことに気付かされます。
PANTERA “WALK”(PV)
上記、映像の通り、超攻撃的なサウンドで、それ自体、同様の方向性を志向しているバンドは数ありますが、
その中で、一聴して分かるサウンドが個性として確立。
個人的にダイムバックのステージを観たのは、1994年4月にPANTERAのメンバーとして来日した渋谷公会堂での一度きりでしたが、
剛球一直線といったサウンドの迫力に圧倒されたことは、20年を経過した今でも、鼓膜に刻まれています・・。
PANTERA “Revolution Is My Name” (PV)
先日、Dimebag のキャリアを代表するPANTERAの最終公演地(2001年8月26日、横浜アリーナ)が、日本であったという事を知り、
その時期、PANTERAをフォローしていない状況であったながら、先日突如訪れた ダイムバック作曲の Revolution Is My Name を聴きたくなった際、
あれこれと検索した際に、その事実に触れ、思い入れを強くさせられました。
兄ヴィニー・ポールが引き継ぐ魂
今年は僅かな時間ではありましたが、ダイムバックのお兄さんのVinnie Paul:ヴィニー・ポール(HELLYEAH)と交流の機会を持てたこともあり、
この時期を迎えての思いをブログに留めておこうと思いました。
惨劇の現場に(同じDAMAGEPLANのメンバーとして)居合わせていたVinnie Paulの心情は想像を絶する次元ですが
再びファンの前に立ち上がってくれたことに敬意を表し、また、Dimebag には哀悼の念を捧げたいと思います。
Rest In Peace, Dimebag.-