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我が青春の Guns N’ Roses は、今も

 

Los Angelesに居る友人と久々に連絡をとっていれば、暫くすれば、Las Vegasで Guns N’ Roses( G N’R ) が長期公演を行うため、しばらく滞在するそうな。

私と、G N’ R はデヴュー作の Appetite For Destruction がリリースされた直後からの付き合いであったものの

ライヴを観る機会は一昨年の12月。本来、東京ドームなどの大箱が会場となっても良いところ

収容人員 3,000人に満たない Zepp Tokyoでの公演となり、チケット代も高かったものの

お得感を感じて観に行ったら、約3時間に及ぶライヴで、その感動は今も胸に刻まれている次第。

” Welocome To The Jungle ” live at Zepp Tokyo 2012

 

Slash featuring Myles Kennedy “Halo” Live in Dublin 2013

G N’R をデヴュー時から知る者としては Duff、Izzy、Slash、Stevenのオリジナル・ラインアップへの思い入れもあり、Izzyに対しては彼が居てこそのG N’Rであったと思っています。

その分、Slashへの思い入れはG N’Rファンの中で低位と思いますが、そんな油断がある中、YouTubeで観たソロ公演での1曲(Halo)には、やはり非凡な才能を感じざるを得ませんで。

もっとも、開演直前のCharlie Sheenの煽りも流石ですね〜

 

 “Chinese Democracy” Live in Los Angels 2011

で、話しを今の Axl 中心の本体に戻すと、オープニングが華々しい  近年のオープニング曲も良いですが

 

“You’re Crazy” Live in Los Angeles 2012

こんなリラックスした感じで、じんわり熱くさせてくれるアレンジも見事ですね。要は「才能溢れるミュージシャンが集まっていたんだなぁ」と。

向井亜紀さんの闘病を知り蘇った、学生時代の格闘技に熱かった頃

 

昨日のYahoo!ヘッドラインで、向井亜紀さんのお名前を。ガンの手術を受けられたとの記事

今回より機会を遡ると、それ以前は代理母により親の立場になった時と記憶。今「その話題はいつの事であったろう・・」と、wikipediaで時系列を含め確認したところ、2003(〜2004)年の事。

代理母が登場する事になった背景も、2000年の子宮頸癌ですから「(この)10〜15年大変だったろうな」と。

芸能人という立場で、私的な事も明らかになってしまい、代理母の時は周囲の理解も乏しく、

面識はなく、ファンでもないながらも、その状況を不憫に思っていた記憶が蘇ってきました。

 

学生時代を熱くしてくれた高田延彦

自分の場合、向井亜紀さんというよりは高田延彦の奥さんという表現の方がしっくり来る感じで

それは自分が学生時代、高田選手がUWF-Internationalの頭を張って、「最強」の称号を自負していた時代。

1ヶ月半〜2ヶ月のインターバルで行われる試合を楽しみにしていて、元横綱の北尾と武道館で対戦した時が、その絶頂であったように思います。

■高田延彦 vs 北尾光司 

 

12月の寒い中、屋外の神宮球場でスーパーベイダーと戦った試合を観に行ったのも懐かしく、脳裏に刻まれている思い出です。

■高田延彦 vs スーパーベイダー

 

その高田選手も新日本プロレスと東京ドームで全面対決となった戦いのメインイベントで武藤敬司選手に足4の字で破れて以降は「最強」の看板を下ろさざるを得ず、、

■高田延彦 vs 武藤敬司

 

垣間見える絆の強さ

UWF系列にプロレスにないロマンを抱いていた自分は(笑)

その信念が崩さる瞬間となり、、 自然と格闘技全般から遠ざかるようになっていきましたが

自分が知っている事だけでも高田延彦、向井亜紀夫妻、いろいろあったワケで、その都度、二人で障害を乗り越えられて行っているように写る姿は「見事だなぁ」と立派に感じました。

 

頭にある思いは、いつか具現化する:小沢一郎政経フォーラム その弐

前日 >> ジョン万次郎の生涯:小沢一郎政経フォーラム その壱 <<  の続き・・

講演会 ⇒ 懇親会

当初、11:00〜12:00の講演会の予定が30分ほど押して、第二部となる懇親会場へ隣の部屋に移動。

ここで、会議のため一旦中座されていた小沢代議士が戻られて、挨拶。

そして、講演を終わられて間もない中濱京さんの乾杯のご発声から・・

続きを読む 頭にある思いは、いつか具現化する:小沢一郎政経フォーラム その弐

ジョン万次郎の生涯:小沢一郎政経フォーラム その壱

 

小沢一郎代議士と私

政治の事はよく分からずとも、TVのニュース等から流れてくるいわゆる政局の話題は、人間の一番ギラギラした部分が出ている感じで、興味深く見ている時間が長かったですが

その中で、小沢一郎代議士は史上最年少で自民党幹事長に就任してから、その存在を知って・・ 自民党を飛び出して、非自民連立政権を作って

・・ いろいろあって(中略)・・

今度は民主党で政権交代の立役者となり、

・・また、いろいろあって(中略)・・

そんな履歴から、豪腕と称される力量や入れ替わりの激しい政治の世界で存在感を保たれていて、「一体、どんな人なんだろう」と漠然とした興味を長く持っていて

小沢さんについて書かれた本を10冊前後読んでいる筈ですが、先週、耳寄りな情報をキャッチし、遂に直にお会い出来る機会があり行ってきました。

来たからには、やっぱり?ポールポジション

開演が迫った頃の入場で、結構な人の入りで後方の席を覚悟したものの中に入れば見事に最前列中央にまとまった空きがあり、ほぼ真ん真ん中をゲット。真ん真ん中でも良かったですが、ちょっと遠慮が(笑)

野党になっても忙しい状況には変わりがないようで、ほぼ定刻に始まり、まず、小沢代議士が登壇。

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最前列中央で、この距離感。

外交関係で、中国と上手く行っていないのは周知の事実ながら、実はアメリカとも上手く行っておらず、図らずも来日時期が重なったオバマ大統領の来日時の予定からその辺が読み解けるとの事。

その辺の話題から30分強の講演で、次がメインとされていたジョン万次郎の直系5代目の中濱京さんの講演。

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ジョン万次郎直系五代目との中濱京さん

ジョン万次郎の生き様が熱かった

9歳で父が他界して幼くして家計を支える事になったジョン万次郎(当時、中濱 萬次郎)14歳で漁に出た際、黒潮に流され、無人島に流される事に。

この時に幸運であったのは、本来の黒潮の流れであったら無人島の行き着く地勢条件でなかったものの

潮の流れによって、九死に一生を得る事になったそうな。それでも無人島の生活を余儀なくされ、船舶は破壊され、大事な物資も流されしまった状況下で、実にその期間9ヶ月程度に及んだ。

再び訪れた奇跡

そんなある日、当初、立ち寄る予定のなかった米国籍の船舶が食料の確保を目論み島に接近。そこでジョン万次郎一行(総勢5名)を発見、救出。

そこから航路に沿って行き着いた先はハワイ。

しばしの滞在期間があったそうですが、ジョン万次郎の仕事ぶりに目が止まったホイットフィールド船長が、アメリカ本土への誘いをかけたところ、

ジョン万次郎はそれに応じ、他の4人はハワイに残る事に。(そのうちの2名はやがて帰国出来る事に)。

ジョン万次郎が行き着いた先はボストン(プリマスだったかな)。ホイットフィールド船長から惜しみい支援を受け、学校に教会に通う生活を送り、

教会に関しては当初の教会がジョン万次郎の来訪を拒否したため、受け入れ先に船長が改宗するほどの確固たる絆があったそうな。

学を身につけ、船乗りとしても地球を7周するほどの航海に出て、1回は乗り合わせていた船長の気が触れてしまい、代理を決める際に副船長に選出されるほどの溶け込みぶりであったとの事。

深まる祖国への思い

但し、母への思い、郷土(日本)への思いから、帰国するに十分な稼ぎを得られず、断腸の思いでホイットフィールド船長と別れ、

仕事の場を一転、西海岸のサンフランシスコで金鉱掘りに就き、帰国の費用を捻出。

十分な資金を稼ぎ、帰国が叶う状況に。もっとも、当時の日本は鎖国されており、アメリカの帰国が知られれば死刑も有り得た状況で、計画は入念に行われたとの事。

遂に帰国

予定通りに入国を果たしたものの、郷里の高知に戻る道中、長崎の9ヶ月間など、相当の足止めがあった。

晴れて郷里の土を踏んだ時には、息子は死んだものと思い、墓が建てられていたものの、帰国の強い動機の一つであった母との面会は遂げられた。

そこからアメリカの内情に精通する者として、江戸へ出向き幕府の聴取に応じるなど、後にペリー提督が来港して鎖国が解かれる状況の土壌作りに貢献。

もっとも条約締結時はスパイ行為等の疑いをかけられ、その場に立ち会う事は許されなかった。

世代間に伝承されているDNA

71で生涯を閉じられた後、中濱家とホイットフィールド家の交流は続き、今は6代目まで来ているそうな。

その間は日米開戦の前年にホイットフィールド家の来日があり、そこには開戦を阻止する狙いが込められるなど、その繋がりは民間を超えた次元に。

活動は両家に留まらず、毎年、日米で広く参加者を募られて行われているようで、今年は9月にサンディエゴで開催。

予定外の無人島来訪で繋がった縁が、1世紀以上に渡って日米両国の友好に脈打ち続ける事になった。

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足摺岬にあるジョン万次郎の銅像

歴史に名を残す人に、一角有り

当初の期待になかったものの、小沢代議士会いたさに来たのがキッカケにして、名前だけ知っていたジョン万次郎の生涯を知るに至り、一人の男の熱い生き様を学ばされました。

と、ここまでで長くなってしまったので、続きは後日。

 

世の中の変化に動じない人になるためには?の秘訣5段階

今日になって、前日の「ザ・スタート」に関するまとめで書き切れない事があったなと思い出した次第。

本にペタペタと付箋を貼付けている効果と実感したところ。

>>  起業の世界は打率1割、それが分かれば必ず成功する <<

変化にビクともしない人になるための5ステップ

世の中でビジネスしているインターネットを使っている事が一般的であろうと思いますが、そこで付き物と言えるのが一方的なルール変更(例: 検索エンジンのアルゴリズムが変わる)。

そういった事に少なからぬ人たちが影響を受けてしまう一方で、本著の共同著者のお一人(加藤一郎さん)は・・

ルールやシステムがどう変わろうが、自分のビジネスには微塵も悪影響を受けない人もいます。(p200-201)

として、そのような存在に君臨するには5つのステップ(p201-202)があるとしています。

  1. あなたの中にある生まれ持った ” キーワードとなる核(コア)” を見つけて、最も尖った部分を抽出する。
  2. そこに磨きをかけて、尖らせ、オーディオアンプのように増幅する。
  3. 市場の需要と供給、競合、お客さんの分析を数理的に行い、あなたが最強になれる “ポジション” と “コンセプト”を算出する。
  4. さらに、あなたの “らしさ” を演出する調味料を加える。
  5. 言語化能力を磨きながら、あなただけの “必殺キーワード”を作り上げる。

ここから5項目に関して注釈が入り・・

1. 2. 4.は感性、直感に負うところが大きいので右脳的アプローチと言えます。

3. 論理的思考によるものなので左脳的なアプローチとなります。

5. は右脳と左脳を統合して活性化させる作業だと言えるでしょう。

ここでポイントなのは、著者は上記から抽出された・・

キー・エリア以外のビジネスには、(それが、儲かるビジネスだとわかっていても)手を出しません。

その心は・・

自分がそれをやっても全力を出せない、続かないことがわかっているからです。(p202)

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自分の強みが分かれば、他に影響されなくなる

この過程を自分の消化する事が「最強の方法論」であるとされています。自分の解釈では・・

1. まず、自分の興味はどこにあるかを把握(=強みにつながる)

2. 次に世の中の事象を捉えてマーケティング(競合度合い、差別化の可否等)

3. パートナー探し等を通じて、自分の立ち位置を際立たせる

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言葉にして書くと「出来るかな?」なんて不安も過りますが・・

それが出来るかどうか、この段階に至る上で重要な事は如何に5段階の最初のステップで

「 己(自分の興味、強みを)を知る事が出来るか」という事に尽きるんでしょうね。

人間誰しも、好きな事(分野)では、とかく没頭の境地に入りやすく、思った以上の結果を出せますものね。

人それぞれの興味が違うところが、この手の分野の悩みを深くしているところでもあり。

起業の世界は打率1割、それが分かれば必ず成功する:「ザ・スタート」読了

前日は披露宴に出席する一方で、久々に本を読了=「ザ・スタート」

出だしは、こちらで立て続けに紹介するなど、具体的な記述に見せられましたが、

>>  街歩きの視点を変えるだけでビジネスは始められる:「ザ・スタート」読み始め <<

>> ライスワークとライスワークの違いがもたらす未来  <<

1. 気付いて  >>>  2. 行動する事!

後半は・・

海外のトレンドが1年後、日本に上陸する」/  「日本の流行が1年後、世界に飛び火する」(p129)

どんな市場でも、興味を持ってくれる人が100人いたら、そのうちの1人が買ってくれる、という割合なんですよ。だったら、100人全員に商品を1万円で売ることよりも、その1人に100万円で買ってもらうことを考えたほうがいい。」(p160)

といった目の付け所や

インターネットビジネスの世界で成功した人たちには「ネットが苦手、あるいはコンピュータそのものに無知な人が少なくない。」(p209)

として、それらの人たちが成功した理由は、ただ一つ。

「誰かが気づく前に、彼らがそれをやったからです。」(p209)

と、要は普段から人と違った視点で物事の捉えておく事の重要性が説かれています。

打率.100の世界、を理解する

起業を志す人たちへ向けても、「ビジネスなんて、10に1つ当たればいいほうなんです。」(p224)と、頭で一見厳しい現実も指摘されていますが

「大切なことは、何度でもチャレンジすることだ。」、松下幸之助さんの言葉から「失敗したところでやめてしまうから、失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる」(p227)

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つまり、ビジネスは・・

10回起業すれば1回くらいは大成功する」(p224) ・・(成功するまで続ければ)・・「 誰でもいつかは100%成功するってことです。」(p227)

と至って前向きに締め括られています。

結論部を更にまとめると・・

「失敗を恐れてはいけない。」(p224)

に集約されるものと読みました。

誰がやっても失敗は付き物なんだから、成功するまで続けよう。これが5人の起業家から本書に込められた思いですね。

行動、決意する事で確実に変わる未来

 

あれから1年で迎えた披露宴

昨年の4/20-21の2日間、プロフェッショナルブロガーの立花岳志さんの「人生を劇的に変える!超実践2daysワークショップ」という

サラリーマンから親の借金を背負った状況からブログや作家として生計を立てられる道を選んだ立花さんの生き様から、12名の受講生と共に、そのエッセンスを学ぶ2日間があって、

そこから1ヶ月後であったり、半年後であったり、折に触れて近況を共有する会が開かれていたのですが、

満1年を迎えた本日、受講生同士が挙式を迎える!という事で、披露宴と二次会に出席してきました。

新郎新婦+立花さんご夫妻&ワークショップ生
新郎新婦+立花さんご夫妻&ワークショップ生

 

決めても、決めざれども、時は流れる・・

出逢ってから1年、ワークショップが終わってしばらく新郎新婦が親密でなかった事を考慮すると

半年かそれに満たない期間で、この日を迎えて、そのスピード感に「凄いなぁ」なんて感慨もありましたが

こういった縁もの、早い遅いは関係なく、どこかしらに必然を見出したり、見出されたりするもので

今回のカップルは半年弱で次のステージを迎える事になったのだと思います。

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新婦の人生を変えた勝間和代さん@祝辞

 

小さなキッカケから変わりゆく状況

最後、披露宴の見せ場、ご両家からの挨拶で、新郎のお父様が、新郎が暫く、家と会社と往復する毎日で、この日を迎える展開は想像出来なかったとの裏話や、

新郎からも上記状況に対して、「このままじゃいけない」と、まずTwitterにアカウントを作って、「おはようございます」と呟いたところ

立花岳志さんから呟きに対する応答があり、そこから飲み会のお知らせが届いて、そこからの展開が巡り巡って今日の出来事を迎えたそうです。

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新郎の人生を変えた立花岳志さん@祝辞

 

これからを決める、次の決断

とかく、人はやった事に対して即変化を求めがちですが、小さな一歩がキッカケとなって、その後の展開に結びつく事、意識していないだけで

結構ありそうですね。また、結婚というと人生での大きな決断の一つとなりましたが、

先週の私的主人公アンソニー・ロビンズが言い切ってましたが、「人生は鼓動一つの瞬間で変わる」と。

仲間の晴れ舞台に触れる機会に立ち会え、行動する事、決断する事の大事さを再認識する事が出来ました。

失って分かる健康の有難みと習慣の尊さ

花粉症になって以来、20年以上のベテラン?ですが、大概、それに悩まされるのが3月前後という感じ。

今年は、さほどお付き合いさせられる事なく過ぎ去った感も、昨日、今日になって、鼻であったり、ゴホンゴホンと ーー;

スギの次されるヒノキ(他、数種あるようですが・・)の影響?

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風邪を引いたのでなし、恐らく「花粉症」と思っていますが、こうして感じるのは、

普段、健康でいる事の有難みですね。体調崩すと集中する事が難しくなり、「まず治そう」との意識が働いて

取りかかる事が大きく制限される実態。方や、日頃から継続している日課(例えば、本ブログ)があると

途中、途切れぬ事がないように「それはきっちりやっておこう」との意識が勝り、

習慣が定着している事の効用を実感出来ます。

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「明日、良くなろう」の心意気ながら、風邪の場合、寝ていれば良くなるかも?の淡い期待も、

花粉症の場合、季節的なものだけに悩ましいですね。

Editor’s Note

前日に、メジャーリーガーに復帰した川崎宗則選手の話題を取り上げた矢先、

>>  帰ってきたメジャーリーガー川崎宗則に学ぶ見事なまでの潔さ  <<

マイナー降格となってしまったようで、、

>> ムネリン、降格にも前向き <<

「こういうのがメジャー」と、ここでめげない(めげた様子を見せない)のも川崎選手のメンタルタフネスかと。