”「圧倒的多数が婚姻の平等に賛成した。公正さと愛に票を投じたのだ。」
こう歓迎の声明をツイートした同性婚賛成派の豪州・ターンブル首相はクリスマス前の法改正を目指す考えを示した。
15日に結果が発表された豪州の住民投票では、18歳以上の有権者の79.5%が票を投じ、「同性同士の結婚を認めるために法律を改正するべきか」との問いに対して「イエス」が61.6%を占めたという。
「公正さと愛に票を投じた」
投票は郵便投票で2ヶ月に渡って行われたもので、法的な拘束力は無い。しかし、同性婚を国として正式に認める法改正はこれで実現確実な情勢となった。
同性婚を正式に認めている国、或は、事実上認めている国はすでに多い。このニュースを今更敢えて取り上げる必要は無いという考えもあるかもしれない。
が、ちょっとチェックしてみたところでは、豪州だけではなく、歴史的・文化的に関係の深いイギリスのBBCやガーディアンのウェブ・ニュースもトップ・ニュースとして大々的に報じている。やはり重要な出来事なのだ。
「パンドラの箱を開けずに済んだ理由」
この豪州の住民投票で見習うべき点がある。
豪州では、拘束力のある国民投票を実施する案がこれまでも審議されたそうだが、そうすると国論が割れてヒートアップし、LGBT差別をかえって助長する恐れがある等の懸念から見送られてきたという経緯があるらしい。
二者択一の国民投票がパンドラの箱を開け、国論の不必要な分断を招いてしまうことがあるのは、EU加盟の是非を巡るイギリスの国民投票の例を見ればわかる。
(アメリカの大統領選挙も分断を助長することがある、、、)それゆえ、国民投票の利用には慎重にも慎重を期すべしと筆者は思うのだが、今回の豪州の住民投票は、拘束力なしの郵便投票で2ヶ月もの投票期間を設けたことで、論争の無用なヒートアップを避け、国民の冷静な審判を仰ぐことが出来たのではないかと想像している。
その結果が法改正への圧倒的な支持となった。
反対派の大物・アボット前首相も「教会の為だけではなく、全ての人の為の良心の自由を保障する法案を支持する。」「議会は住民投票結果を尊重すべきだ。」と結果を受け入れる考えを表明している。国民投票は敗北した陣営もそれを素直に受け入れられるようでなくてはならない。
豪州の投票はその模範と言ったら褒め過ぎだろうか。
「古い感覚は忘れ去れ!」
ロンドン駐在中、筆者は、ゲイ・パレードの日に歩道上で強烈なデイープ・キスを続ける男性カップルを目の当たりにしたことがある。
異性カップルだろうが同性カップルだろうが、公の場、しかも、ごった返す歩道上で、こういう行為を続けるのは大変よろしくないと筆者は思う。
異性カップルだろうが同性カップルだろうが、こうした行為は子供の教育上も悪いと思う。
が、双方の合意に基づく婚姻関係は誰かに怪我を負わせたり、他人に迷惑になる話ではない。21世紀の今や個の自由で良いのではないかと思う。
少子化に歯止めをかけ人口を一定レベルに保ちたいなら、そして、日本の衰退を防ぎたいなら、古い家制度の感覚は忘れ去るほうが良い。
出産と婚姻は一体であるのが当たり前という感覚も変わるべきだと思う。夫婦の選択的別姓もあって然るべきと思う。
「自由に生きよう!あれも駄目これも駄目では未来は暗い」
インターネットが隆盛を極めたのは便利で速くて使い易いからだけではない。良くも悪くも自由だからでもある。実生活よりも遥かに規制(束縛)が少ないからである。
野放図は確かに良くない。強いものがますます強く、弱者がますます弱くなるようではいけない。
富める者がますます富めるのも良くない。公正を損なうような無責任な自由は認められない。
が、日本社会のあちこちに充満する閉塞感を打ち破る必要性を認めない人は少ないに違いない。
あれも駄目これも駄目だと未来は暗い。どこで折り合うのか、公正で慎重な議論は必要だが、もう少し自由があってよいと思う。
豪州国民が同性婚に大賛成のニュースをみて思った次第である。”(出典:
ホウドウキョク)