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坪井智哉、天才と称されながら最後は住む場所まで奪われたプロ野球人生

今週、Yahoo!のトップページで知った阪神タイガース等で活躍した坪井智哉選手引退のニュース。

失礼ながら現時点でも現役生活を続行している事は頭に入っていませんでしたが、直近は過酷な現役生活であったようで記事(下記)を目にして、少なからずの衝撃でした。

■ 阪神、日本ハムなどで活躍の坪井智哉が引退表明

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鮮烈なデヴューから一転・・

坪井選手というと、多くのファンにとってはイチロー選手と同じ形容のされ方であった振り子打法で、華々しく阪神タイガースでデヴューを飾った頃の鮮烈が強いものと思います。

トレードで阪神を離れてからは波瀾万丈で、記事等で取り上げられる機会は、デヴュー当時の栄光との対比という視点であった事が多かったものと。

上記、記事から引用すると・・

“トライアウトを経て2011年はオリックスで1年間プレーしたが、そのオフに再び戦力外となると米国独立リーグでのプレーを選択した。

1年目は足の肉離れ、2年目は肩を痛めて、満足な結果を残せなかったが、昨年オフに肩を手術。

今シーズンは「独立リーグの中でも最もメジャーに近い」といわれているアトランティックリーグのペンシルバニアに本拠地を置くランカスターと契約を果たした。”

と厳しいながらも、夢に近付いている現実も読み取れますが、

“ある試合で一塁に出塁して偽装スタートを何度か切ったが、ベンチに帰ると「打者が集中できないから、走る格好などするな」と怒られた。

2週間を過ぎたところで出場選手登録そのものを抹消された。”

と、こういった細かい芸当を好む人もいれば、特に主力打者の時にこういった事をすると、チームメイト間でも亀裂が走る原因となって

実際、現在、横浜ベイスターズに在籍している中村紀洋選手の場合は幾度となく衝突を起こしている印象。

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度重なる試練・・

話しを坪井選手に戻して・・

“登録を抹消された選手は、遠征には帯同が許されず、ホームのゲームでは、一塁コーチャーズボックスに立たされる。

しかも、攻守交替時には、ひと周り以上も年下の選手に「かたずけておけ」とばかりにポーンとヘルメットを投げられる。「アメリカまで来て俺はコーチャーズボックスで何をしてんだろう」と、強い孤独感と空虚感を覚えたという。

坪井は、それでも、ひたむきに「いつかチャンスがくる」と練習を続けて再登録機会を待ったが、さらなる試練が襲い掛かる。

独立リーグでは、チームや選手によって契約形態は多少違うが、球団が選手に住居を供給している。

低予算のためモーテルの部屋を何人かの選手でシェアするようなケースも少なくないが、ランカスターの場合は、協力してくれる地元の人の家に選手をホームステイさせる形をとって選手の経済的な負担を解消していた。

だが、坪井は、当初からホームステイ先を与えられず、「やっと決まったぞ」と伝えられた家に慣れない英語で連絡を入れると、「その話は断ったはず。悪いけど」と言って電話を切られた。

球団フロント間の連絡の行き違いだった。宿無しとなった坪井は、GM兼任監督のようにチームのすべてを仕切っているホブソン監督に訴えたが、「今探しているから」とのつれない返事。

ホームステイ先が決まるまで、仕方なく自費でのホテル暮らしを続けたが、いつまでたっても音沙汰がない。元々、給料自体も、月に15万円もないという厳しい条件だったが、登録を外されると、その間、そのなけなしの給料さえ出ない。

そんな坪井に同情したチームメイトが「俺のところに来い」と救いの手をさしのべてくれ、そのホームステイしている先に頼み込んで転がりこんだ。だが、エージェントを通じて、ホブソン監督から「坪井は何を勝手なことをしているんだ。今すぐ家から出ていけ」と理不尽な連絡が入って追い出された。”

もはや嫌がらせ、悪意すら嗅ぎ取ってしまいました。

残された選択肢

引退を決断した経緯に関して・・

“アマチュア時代から、ずっと野球のエリート街道を歩いてきた坪井が、40歳にして初めて味わう屈辱。

グラウンドの競争社会の中で振り落とされるなら、まだ我慢はできるが、寝る場所も与えられないという人間の尊厳にかかわる部分を傷つけられ、坪井はついに引退という決断を選択せざるをえなくなる。”

と。PL学園から大学、社会人を経て、阪神タイガース入団といった、これだけで選ばれし者の才能を感じるところですが

狂い始めた歯車が、最後は原型すら留めていないかの状況となり、「引退」しかない選択出来ない状況に追い込まれてしまったものと推測したところです。

けじめの場と、引き際の難しさ

正式が記者会見(これを書いている翌日の8/18)が予定されており、この辺りは坪井選手のキャリアに対する敬意といえると思います。

現中日ドラゴンズのジェネラル・マネージャーの落合博満さんが、かつて新入団の選手たちに向けて

「自分で引退出来る選手になれ」といった意の言葉をかけられ、「入団したばかりなのに、もう引退の話しかよ」と

個人で違和感を覚えた発言で、これも落合流かなと思っていましたが、真意は、多くの選手が自分の意に反してユニフォームを脱がされているという現実を差しての事。

坪井選手の場合も完全燃焼し切れなかった部分に、「(ユニフォームを)脱がされた」厳しさを感じます。

新人の時は中日ドラゴンズ川上憲伸、読賣ジャイアンツ高橋由伸、広島東洋カープ小林幹英と繰り広げたハイレベルな新人王争いに始まったプロフェッショナルなキャリアに

過酷な環境に果敢に挑んで行った姿勢、イチローも「天才」と認めた卓越した打撃センスは、今後に期待される部分は大きいですね。

私もこの場で、その才能と生き様に敬意を表したいと思います。

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明日、記者会見との事で、明日からは「坪井さん」。会見の場までは「坪井選手」の呼称にこだわってみました。

 

高橋慶彦さんに再び会ってきた

 

広島東洋カープ等で活躍された元プロ野球選手の高橋慶彦さんのサイン会へ。

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2月に続いて2回目。

前回の模様 >>  高橋慶彦に会えたのが嬉し過ぎた <<

 

慶彦さんが上梓された『赤き哲学』の刊行イベントで

「もう(本)持ってるし、前回、聞きたい事を聞けたし、今回はいいかなぁ」なんて思いつつも

当初はトークショーも予定されていた事(⇒雨天中止)と、特に予定が無かった事、行けば何かあるかも?のワクワク感などから前日になって参加を決めた次第。

 

一流に触れられる得難きチャンス

前回は、縁あって所有する事が出来た慶彦さんの現役選手時代のグローブの真贋を確認する任務を背負ってのドキドキするような使命感がありましたが、今回は至って気楽 ^^

100名弱の参加者で、トークショーが中止となった分、サインの他に各自と写真撮影に応じて頂けるサービスっぷり。

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希望者全員と写真撮影。本以外でもユニフォームに、カードに、皆さんの要望に気さくに応じられるサービス満点ぶりでした

 

 気の利いた質問・・

せっかくの機会だから、何か質問をしようと思考を巡らせるも聞、カープファンであった時期は遥か昔であった事(阪神の事、聞くと空気読んでないかな、とか・・)もあり、

気の利いた質問が、さっぱり浮かんでこない ^^;;

それでも、コーチ時代にロッテの西岡、今江、小坂といった主力選手を鍛え上げられた実績から、「今、プロ野球界で一番鍛えてみたい選手」を問ふ事に。

 

一流にして、気さく

整理券番号66で、開始時刻からおよそ30分程度で自分の順番。初めてではないながら

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本人を目の前にすると野球少年時代の憧れがそこにいるわけで、自然と平常心でなくなり・・

と、そこで怯まず、本にサインを走らせて頂いているタイミングで「慶彦さんが、今、一番鍛えてみたい選手は誰ですか?」と発すれば・・

「うーん、どうだろう。いっぱいいるね。でも、カープで足の速い選手は育ててみたいよね」と一言一句正確でないながら、ばっちりコミュニケーション。

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実はサインも他の人と違って、慶彦さんの顔写真が印刷されたページ(上記)で、「俺の顔の上に書かせるわけね」と軽くジョークを投げかけて頂き気さくな感じは2月の時と変わらず。

実力勝負の世界で頭角を現した事も凄いですが、やはり人気商売の面でもスターの座を獲得した人は違いますね。

私の質問の回答に「カープの選手」と指定がくるあたり、次のご活躍の場は、慶彦さんを知る誰しもが思い描く、

「広島東洋カープ = 赤いユニフォーム」

慶彦さんの哲学が育まれた原点、その姿が現実となる事を俄然応援したくなった、今回のイベントでありました。

 

 

ヤンキース田中将大投手が叩き出した100年で2人目の快挙

Yahoo!ヘッドラインを眺めていれば・・

100年間で2人目の偉業 データが示す田中将大の圧倒的な投球 ” とあり、順調な滑り出しはTVを見ない自分でも知っていたものの

「100年間で2人目」とは何ぞや?と、記事を目をやれば

” QSとは先発投手が6回以上を自責3以内に抑えることだが、メジャーデビューから11試合連続でQSを続けている田中は、大リーグの公式記録が残されている1913年以降では、ヤンキースで初。メジャー全体でも、1973年にエクスポズでプレーしていたスティーブ・ロジャーズ以来、100年で2人目の偉業となっている。”

という事。

 

野球選手としての技術は言うに及ばず、アスリートとしてのメンタルも凄い

この数値、New York Yankees /ニューヨーク・ヤンキースで同僚の黒田博樹投手も、ここ数年で評価を高めていた項目ですが、

とかく田中投手に関する記録では連勝に注目が集まりがちでしたが、勝ち続けたのには、しっかりとしたこういった裏付けがあったからですね。

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しかし、野球とベースボールの違いと言われる似て非なる部分に、時差のある国土の移動を当たり前の如く消化し、当番間隔も日本より1〜2日短い中4日でのサイクルの中で

実力と共に、それを出し切る環境への順応性も圧巻ですね。しかも、注目度が他球団の比ではないヤンキースで!

プロアスリートでも、環境や(サッカーなどで多い)システムの違いで力を発揮し切れないアスリートも多い中、改めて田中投手の凄みを見せつけられるデータでありました。

 

田中投手が押し上げた北海道に、ハンカチ王子

田中投手を知ったのは、全国高校学生野球選手権大会(夏の甲子園)で、深紅の大優勝旗が初めて北海道に渡ったという出来事を、当時の旅先のアメリカ(ロサンゼルス)で知った事に関連してでしたが

そこから翌年(田中投手、2年生)に連覇を遂げて、更に翌年は今もファンに語り継がれる斎藤佑樹投手(当時、ハンカチ王子として人気)との投げ合い。

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田中投手の凄さによって、斎藤投手の格が上がってしまったのが、良かったのか否と言えるのか、これから真価が問われるところと思いますが、

さて、シーズンオフに田中投手、どのような記録に記憶を留めてくれますかね。

 

方や、もう1人のヤンキース新入り日本人

因みに、田中投手の活躍は2月にこちらでも予言?していましたが、その時の話題の中心は

Yankeesに昨年ドラフト2位で指名された加藤豪将選手。

>> ヤンキースに入ったマー君も凄いが、実はもっと凄いかも加藤豪将 <<

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加藤選手に関しての情報が視界に入ってくることなく、調べてみたところ・・打率.179 (日本時間 6月3日時点)と

こちらはプロの洗礼というか、これからのようです。

ワールドカップのメンバーから外れた中村憲剛の心意気

サプライズが分つ明暗

今週、注目を集めた話題の1つに、開幕まで一ヶ月を切ったサッカーのワールドカップ、日本代表の23名の選考が上げられると思います。

その中で「サプライズ」として注目を集めた大久保選手の選抜が上げられますが、自分としては

その瞬間を取り上げた映像の中で、選考から漏れた中村憲剛選手が大久保選手と同じ(川崎フロンターレ)バスに乗り合わせた事が気になっていました。(なお、予備登録のメンバーに登録)

「画像がないかな・・」なんて探していれば、サッカーアンテナさん(2枚とも)。

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込められ、託された思い

そんな折、Facebookで中村憲剛選手が本件で声明を出している事を知り、そのメッセージが印象に残る内容でした。

下記が、その内容。

続きを読む ワールドカップのメンバーから外れた中村憲剛の心意気

帰ってきたメジャーリーガー川崎宗則選手に学ぶ見事なまでの潔さ

アメリカのメジャーリーグ(ベースボール)、大型契約で入ったニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手が期待に沿った感じのデヴューを遂げた裏で

メジャー3年目の川崎宗則選手も主力選手のケガによって巡ってきたメジャー昇格のチャンスで「らしさ」を発揮している様子。

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特筆すべきは、その愛され度

その模様は

>> 帰ってきた川崎宗則とブルージェイズの絶妙な関係 <<

で、読んで知った次第(斜め文字は記事からの抜粋)。

合流初日のチームメイトとのやり取りで

「What time is Stretch, Kawasaki?」とチームメイトが話しかける。川﨑はそれに何気なくスペイン語で応え、相手を笑わせる。彼の周囲にはいつも「やつと話すと、楽しい気分になれる」という雰囲気が満ちている。そして、それは去年からずっと続く、川﨑とブルージェイズの間にある幸福で絶妙な関係である。

チームを率いる監督曰く・・

「選手としては何かを起こす選手だ。正しく野球するだけではなく、彼の周りではいつも何かが起きる」

昨年の試合でサヨナラ打つを飛ばしてお立ち台に上がった際は・・

「チームメイトがチャンスをくれたから、何とかしたかった」と小さなメモを読みながら英語で叫んだ。これがファンの心を捉えた。彼らの中に「ブルージェイズのために献身的なプレーをする面白い日本人」という像が確立されたのだ。

この発言自体、日本人が言う分には特別な感じはしないですが、それをつたない(であろう)英語表現ながら堂々とした姿勢も相俟っての事であったのでしょう、きっと。

コミュニケーションは語学力に非ず

また、チームメイトから慕われているエピソードとして・・

ドミニカ出身の選手に背中からしつこくスペイン語で話しかけられていた川﨑は、スペイン語で何度か答えた後に突然、振り向いてこう言うのである。

「そんなこと言ったって俺には全然、通用しないんだぞっ!」スペイン語に対する日本語だから、きちんと会話が成立しているわけではない。

それが、どんな感じなんだろうと、たまたま見ていた動画で、片言の英語で一所懸命コミュニケートしている川崎選手の姿があり、

ここでも途中、日本語で堂々としている場面(13:05〜)があり(笑)ベンチ内でも、恐らくこんな ↓ 様子であったろうと・・

▪️Kawasaki and DeRosa on International Talk

記事では、川崎選手のこういった姿勢を評して・・

当たり前の話だが、コミュニケーションを取るというのは、共通の言語で正しい文法に則って話し合うことではない。たとえ言葉が通じていても、コミュニケーションの取れない輩はいる。

・・ 中略 ・・

“メジャーリーグの現場”で言葉が通じなくとも相手にぶつかり、選手やコーチだけではなく、ファンやメディアとも気持ちを通じ合わせている川﨑の姿は、頼もしい。

イチローの背中を追いかけて始まったメジャーリーガー川崎

川崎選手のメジャーリーグ挑戦は、強い憧れを抱くイチロー選手の背中を追いかけてという状況で、当時イチロー選手所属のシアトル・マリナーズでないと、実現しなかったメジャーリーグ挑戦でしたが

その意気込みに関しては・・

「やってやろうという気持ちがなければ、(アメリカに)来てない。そういう気持ちは小学校の時から変わってないよ」

福岡ソフトバンクホークスに留まっていれば、レギュラーを約束された状況で、チームから一目置かれる存在であった筈で、

年俸も何倍も良い条件であった事と思いますが、やりたい事にこだわって、幾ら本人の調子が良くても、レギュラーがチームに戻ってくれば

また、マイナー生活など不安定な野球生活が待っているかもしれないにもかかわらず

表舞台では底抜けに親しみが伝わるその姿勢は、人間としての素晴らしさを感じますし、

目に見えない所での(野球への)努力は最善を尽くしてからこその賜物であろうと、記事を読んで大いに勇気付けられました。

 

高橋慶彦「赤き哲学」を読んで感じた、覚悟の決めた人の凄み

 

昨日、サイン会に参加出来て、嬉し過ぎちゃった高橋慶彦さんの「赤き哲学」を読了。

 

カープが育てた高橋慶彦

今の慶彦さんがあるのは、ベースになるのは(広島東洋)カープで学んだこと(p209)として

それを指導者の立場でホークス、マリーンズなどで深め、還元させてきたというプロ野球界での足跡。

本の最後では、低迷が続いたカープへの思いが綴られており、現実的には

現役時代に球団行事の「カープ激励の夕べ」をボイコットした経歴から困難が横たわっているようで・・

サイン会の際はファンから「次は是非、赤いユニフォームを」の懇願に

一瞬笑みを浮かべられ、「頑張りま〜す」と明るく返されていましたが、当事者だけが知る根深さもうかがわれる一コマでした。

 

走り続け、また、バットを振り続けた現役時代

その他、本で印象に残った事は圧倒的な練習量で、それはプロに入ってから足を活かすためにスイッチヒッター(当時、日本人選手初となる左右両打ち)を目指すことに起因しての事で

それは・・ 「1日24時間じゃ足りない」と感じるほど(p114)「何千、何万回・・・・・・おそらく百万回単位で素振りをしたでしょう。」

「実際、キャンプなどでとことんバットを振った翌朝は、目覚めると手が拳を作った状態のまま開くことができない。片方の手を使って1本、1本、指を広げていく。そんな日も珍しくありませんでした。」

この経験から・・

不可能、あるいは困難だと言われる物事にチャレンジするためには勇気が必要です。それと同じくらい求められるのが覚悟。挑戦してできないことはない。 ・・中略・・ 勇気と覚悟さえあれば何でも実現することができるのです。(p115)

努力が数字となって表れるまでは・・  外で食事をしていても、彼女の家でくつろいでいても、就寝する2時間ほど前になれば「悪い。素振りするわ」と言い ・・中略・・ 年末年始も大晦日から年明けにかけて ・・中略・・

ある日、どうしても気分が乗らず「今日はいいかな?」と素振りをせずに布団に入った日がありましたが、どうしても落ち着かなくて全く寝られない・・・・・。

私(慶彦さん)にとってバットを振るという行為は食事をとるのと一緒。 ・・中略・・ 「継続は力なり」とはよく言ったものです。 ・・中略・・  量は裏切らない。続けることで染みつくものもあるのです。(p.119)

と、勇気と覚悟を決めて挑んでいた現役時代の裏側に触れる事の出来ました。

 

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高橋慶彦と同じくカープ魂を体現した金本知憲

慶彦さんと同じ境地でプレーをしていたのが、カープからタイガースに移籍した金本知憲さんで、常に全力疾走を怠らなかった姿勢を評価されています。

金本さんも「覚悟のすすめ」という著作(未読)を上梓されていますが、

特定の分野で突き抜けるには、習慣が自動操縦の領域に入ってしまう没頭の世界、

覚悟を決めて挑んだアスリートの心の強さ、存分に見せつけられました。

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高橋慶彦は、失敗しても走り続けた。

 

2週間前に感激のサイン会があった高橋慶彦さんの「赤い哲学」をちょろっと読み始め。

出会いによって人は変われる

慶彦さんは野球人生を数多くの「出会い」によって成り立っていたと振り返られ、

そこから学んだ事は・・「自分自身の考え方を変えれば人は変わる」ということ。(p4)

 

一流への道に繋がる事になった、人生を変えた一言

甲子園にエースで4番の実績を引っさげ、プロ野球の世界に入るも

バッティング練習では、ろくずっぽバットにボールが当たらない状況から・・「1年でクビになるかもしれない」(p12)というところからの振り出し。

絶望感に包まれた状況を見兼ねた、後に監督となる古葉竹識コーチが歩み寄り

“慶彦、お前、なに落ち込んでいるんだ。プロでは足だけでも飯を食っていけるんだぞ”

の一言に ・・

“スペシャリティを磨く。私にとってはそれは足。走塁を生かすためにはどうすればいいか。打球をガンガン飛ばすのではなくゴロを打ったほうがいいだろう。私にとって幸運だったのは、1年目にしてプロでの生き方を決断できた”(p.13)

出会いと一言によって、ファンの記憶に留められる事になるプロ野球選手 高橋慶彦 の生まれる礎となった事が記されています。

 

鉄拳の裏側に、運命の絆

監督に就任した古葉さんは、「お前(慶彦選手)が出るか、俺(古葉監督)がクビになるか」の覚悟で慶彦選手を使い続けたそうな。

私の印象では鉄拳制裁による師弟関係のイメージが強かったですが、そこには熱い絆があった事が読み取れます。

 

失敗を恐るるなかれ

最終的にプロ野球生活18年(平均選手寿命10年以下であるそうな)、1,826安打、477盗塁(プロ野球歴代5位)と輝かしい記録も残した事になるのですが

この裏側にはカープの育成方針、「どんどん走れ」というのがあって、歴代2位となる盗塁失敗数206に裏打ちされての事。

足は速いが、走塁技術に乏しかった慶彦選手に「アウトになってもいいから走れ」、

この教えを最後まで守って走り続けたプロ野球人生であったとの事。

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マイケル・ジョーダンも失敗を乗り越えて、神になった

同様の事は、かのマイケル・ジョーダンもNIKEのCMで「数多の失敗を乗り越えたからこそ、自分は成功した」とキャリアを総括していますね。

 

一所懸命を、人は見ている

まだ、第1章を読み終えたところですが、印象的だったのは、高校3年生となり、プロ入りを全く考えられず

大学進学を決めていた高橋慶彦さんのもとに、広島カープのスカウトから指名したい旨の連絡。

エースで4番として甲子園に出場しながら、プロのスカウトの目に留まったのは、ホームへのスライディングに可能性を感じてとの事。そこから慶彦さんは・・

“自分が意識せずとも、物事に対してひたむきに取り組んでいれば認めてくれる人間はいるもの”(p45)

同様の事は、昨年12月の講演会で野村克也さんも言われていましたが

講演会の模様 >> 野村監督こと野村克也さん講演会へ

 

プロ野球界に名を残す事になる選手も、その裏には、一所懸命、ひたむき、一つ一つに魂込めたからこそですね。

ヤンキースに入ったマー君も凄いが、実はもっと凄いかもヤンキース加藤豪将

今まで一度だけ語られた紳介さんが直に語ったサクセスストーリー

島田紳介さんが絶頂期にあった時、NSC(吉本総合芸能学院)で若手向けに

如何にして、綿密な計算のもとに当時の地位を築き上げたかを講演しているDVDが世に出され

「世間一般の人にも通じる学び」として一部で話題を集めましたが、その中で紳介さんが種明かししたくなかったテクニックの一つとして

野球好きと聞かれて「清原(PL学園⇒西武ライオンズ他)と答えているようじゃダメだと」

紳介さんの回答例は(当時)阪神の赤松(現在は広島)で、赤松に関するエピソードを披露されていたかと記憶していますが

要は人に如何にして耳を傾けて貰えるかという事。「清原」でなく「赤松」と答え、そのワケを回答した事で

相手(多分に視聴者)にも「やっぱり紳介さん詳しいな」との印象が残るものと計算が働いての事。

実際はそれほどの思入れはなく、恐らくお立場柄ニュースから芸能ネタまで、あらゆる事に携われるようの配慮と思います。

ニューヨーク・ヤンキースで注目するのは マー君(田中将大投手)だけで無かった

話しは一旦変わって・・ 先日、アメリカ人より先日ニューヨーク・ヤンキースに入団を果たした「(マー君こと)田中将大投手のベースボールカードを探して欲しい」とのリクエストがあり

数日、カードを扱うショップに出入りしてました。そこで、店主の方と雑談になり、アメリカからも業者がマー君のカードの買い付けに来ているとの事。

契約金の凄まじさ(=7年162億円)も手伝ってか、カード相場の注目度の2位になっているそうな。

で、意外だったのは3位(か4位)に、昨年のヤンキースからドラフト2位を指名を受けた加藤豪将(Gosuke Katou)選手であった事。

ドラフト後であったり、イチロー選手との2ショット写真など、瞬間的に話題になりましたが、本国では高い関心を集めているようです。

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日本では知られてなかったが、アメリカでは燦然と輝くキャリア

そこで、ちょろっと加藤選手について wikipedia で調べてみました・・

・アメリカ生まれ。3歳の時(1998年)に一旦、日本での生活が始まるも、2年後から再びアメリカの地で生活。

・2002年にシアトルでイチロー(選手)の試合を観戦した事から憧れの念を抱き、右打ちから左打ちに転向。

・高校在籍時、打率.411、25本塁打、114打点で、ルイスビルスラッガー社の選ぶ全米ファーストーム、ローリング社の全米セカンドチームなどに選手。

・高校卒業後、UCLAへの進学が決まっていたものの、6月にニューヨーク・ヤンキースから2巡目での指名(全体66番目)を受け、同月約85万ドルの契約金で契約。

・まず、ルーキー級のリーグで開幕戦にホームラン。シーズン50試合を通じては、打率.310、リーグタイの11本塁打、25打点の成績を残し・・ ベースボールアメリカ社選手のベストナイン及びヤンキースの来季有望株トップ10に選出。

と、ここまでの略歴を振り返ると着実に進化を遂げている様子で、アメリカで注目を浴びる事もよく分かります。現在、まだ20歳。

そんなんで、ベースボールカードコレクターではないものの、私の手元に下記のカードが(笑)

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アメリカで注目を集めている模様のカード。サイン入りで、何袋かのうちの一つに入っている「当たり」みたいなもののようです。今、ヤフオクでも、さほど高い値段でなく入手出来るみたいです。(←購入を勧めているのではありません) 

こういったものを持っていると俄然、本人を応援したくなる気持ちが強くなるんですよね・・

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ベースボールカードで高値が付きやすいルーキーカードでなく、ドラフト指名を受けて発行されたカード。最初の公式物ですね。

ジーターの後継に、生涯ヤンキースでキャリアを貫くスーパースターの道もある!

故伊良部投手や松井選手が、他のメジューリーグのどの球団でなくヤンキースに憧れて、日本で圧倒的な実績を残して海を渡っていきましたが

そのヤンキースから高くポテンシャルを評価されて、上手くキャリアップ出来れば、今シーズン限りで現役引退を表明したデレック・ジーター選手のように

生涯ニューヨーク・ヤンキース(ex.ルー・ゲーリック、ジョー・ディマジオ)の選手としてキャリアを全う出来る事も起こり得るという夢の広がる状況です。

日本での注目度は私がそうであったように、まだまだですが、こんな選手、今まで居なかったぞ!という素晴らしく夢のあるアスリート  Gosuke Katou / 加藤豪将

マー君語ってもらったら、加藤豪将で返しましょう!

で、冒頭の島田紳介さんの話しに戻すと、今季、マー君の一挙手一投足に注目が集まるのは確実な状況ですが

そんな場面で、身近でこの話題が出たら「実は、ヤンキースにマー君、イチロー、黒田以外で、もう一人凄い選手居るの知ってる?」ってやってみたいなぁと ^^

日本人の誰しもが、既にマー君が凄い事は知っているわけですから、

こちらをお読み頂いてる皆さんも、マー君のことではクールに受け流して、「実は・・」と(笑)

上記、wiki情報を頭の片隅に入れておくだけで、ちょっとした野球の目利きと目されるものと思いまーす。長文、有難うございました(ペコリ)