” 世界とアジア太平洋地域は、辞任を表明した安倍晋三首相が国際問題をめぐり伝えてきた賢明で落ち着きのある言葉の数々に思いをはせる。
彼はオーストラリアの親友で、長年にわたり首相としてともに働き、相互の率直さと信頼に基づいて温かな友情を築いた。
シンゾーとのやりとりの中で、私は彼のユーモア、魅力、そして何よりも穏やかさに感銘を受けた。
私は2017年11月にベトナム・ダナンでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)で彼とともにいた。
指導者たちは11カ国の環太平洋経済連携協定(TPP11)を承認しようとしていた。
トランプ米大統領がTPPからの離脱を表明したとき、シンゾーを含むほぼ全ての人が協定は死んだと思った。私は残りの11カ国が米国抜きで進むべきだと主張した。
シンゾーはTPP11がトランプ大統領を怒らせうるだけでなく、日本の政治状況からしても非常に難しいと懸念していた。
米国市場へのアクセス拡大をうたって売り込んだTPPの枠組みから米国が外れたからだ。
それでも17年1月のシドニーでの会談までに、私たちは協定の存続に同意した。シンゾーもTPP諸国の説得に動き始めた。
土壇場でカナダが大筋合意を拒否した時も、彼は怒りも憤慨もしなかった。落ち着いて状況を再評価し、TPPが10カ国、9カ国になってもあきらめないと約束した。
彼は枠組みの経済的利益と戦略的利益をはっきりと見据え、その両方を獲得することを決意した。
ついに18年3月にTPP11が署名された。日本の献身なしには実現できなかったし、シンゾーという指導者がいなければなし得なかっただろう。
保護貿易主義の高まりにもかかわらず協定を達成した事実は、願わくば時とともに、米国を含む他国の参加が可能になることを意味する。
シンゾーが地域で掲げたビジョンは明確だった。法の支配の下、小国が大国に脅かされず彼らの運命を追求できる、自由で開かれたインド太平洋の実現だ。
中国の脅威が増すなか、米国の継続的な地域への関与の保証をめざした。我々は戦略対話により日米豪印の連携を強化した。
トランプ氏は日本が米軍基地の費用負担に十分に貢献していないと主張し、地域の同盟国に対する米国のコミットメントの価値に疑問を持ち始めた。
彼の不規則なリーダーシップのスタイルは、友人と敵を同様に不安にさせるものだった。同盟国の多くは米国が将来的に信頼できるかどうか疑問を持ち始めた。
これらの課題は、シンゾーの資質のすべてを要求した。トランプ氏とはこれまでの他のどの指導者とも全く違う信頼関係を築かなければならなかった。
私たち3人が一緒にいたとき、トランプが日本の歴史をめぐる挑発でシンゾーを試していることがわかった。
シンゾーは平然と穏やかで気さくだったが、必ず追い求めたい問題に立ち戻ってきていた。
首相としてのシンゾーの引退は、彼が長く尊敬のまなざしを浴びてきた国際社会に実に大きな空白をもたらすだろう。
あらゆる交渉において彼は心から礼儀正しく誠実だった。
政界ではあまりにもまれな資質だ。ひどく惜しまれるが、世界中の友人は彼の奉仕に感謝し、一刻も早い健康の回復と昭恵夫人との長く幸せな人生を願っている。”(出典:日本経済新聞)