『日本はなぜアジアの国々から愛されるのか』を読了。
>> アジアで感謝されている日本を学ぶ:『日本はなせアジアの国々から愛されるのか』読み始め <<
表に出ない、出れない?日本、日本人である事を思うDNA
本の中で・・
” 不思議なことに日本では、「祖国を愛している」と言うだけで、「ネトウヨ(ネット右翼)」「右翼」と言われてしまう。 自分の国を愛するのは当たり前。家族を守るのも当然。国旗を掲げ、国家を斉唱することに躊躇することは何もない。” (p166-167)
と書かれていて、これ正しく自分の心の動きと一緒で、何か周囲で「国」について特定の言動が有ると 自動的に「右」だの政治的思想に絡めて分類してしまう思考回路があって、 「日本塾」に参加している自分自身についてでさえ、それに類する動きをしているのではないかとの(自分の行動を素直に全面的に受け容れられない)感覚を抱いてしまいます。
>> 「日本を愛し、日本人の誇りを持つ」を訴える「日本塾」の初回講義へ行って来た <<
サッカーの日本代表であったり、オリンピックで自国の選手を応援する事は当たり前の事なのに、 その対象が殊、国となると、議論の難しさであったり、何と無しに抵抗感を抱いてしまう事は多くの人に感じられることではないでしょうか。
世界4位の体積を持つ日本
この本では、日本がアジア諸国で行なってきた善行であったり、好感を抱かれている実情についてページが割かれているのが主ですが、例えば・・
” 日本人は、「自分たちの国は小さい」と思っている方が多いが、それは間違いである。確かに国土だけをみると61位。それでも大きなほうだが、 海を入れると、なんと「世界6位」の超大国なのだ。日本の排他的経済水域(漁業管理権、海底開発権、海洋調査権を持つ)面積は実に447万km2もある。 ・・中略・・ さらに体積(「海の広さ」x 深さ)にすると、世界で4番目に大きくなる、とてつもない大国だ。” (p176)
世界で初めて「人間は平等」を世に問うた日本
” 世界で初めて、「すべての人間は平等である」と宣言した日本に、私(池間哲郎さん)は誇りを持っている。 世は人種差別の真っ只中。有色人種は人間ではないとい言われていた時代に、「毅然として立ち向かった」国家が私たちの日本である。 大正8(1919)年4月11日、フランスのパリ講和会議国際連盟委員会において、「すべての人間は平等である」との「人種差別撤廃提案」を日本が世界で初めて出した。” (p147)
ヘレン・ケラーのメンターは日本人だった
” 三重苦の世界の偉人、ヘレン・ケラーを知らない日本人は、ほとんどいないだろう。一方で、彼女の心の支えが日本人であったことを知っている日本人も、ほとんどいないだろう。 ヘレンの母親は、「日本には目が見えないが血のにじむ努力を重ね、立派な学者になった塙保己一先生(江戸時代末期の国文学者)がいました。アナタの人生の目標にしなさい」と常に彼女に言った。 ヘレン・ケラー自身も昭和12(1937年)に来日した際には、「私が辛く、苦しく、くじけそうになった時に支えてくれたのは塙先生です。先生が人生の目標でした」と語っている。” (p218-219)
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” また、その時、日比谷公会堂でヘレン・ケラーに、「口で作った日本人形」をプレゼントした中年の日本女性がいた。贈った女性は、中村久子さん。 3歳の時に凍傷がもとで突発性脱疽となり、両手両足を切断。見世物小屋で「だるま娘」として継父から身売りされるなど、 幾多の絶望的な苦しみを乗り越え、素晴らしき人生を全うした女性。 ヘレン・ケラーは中村久子と出会った時、「私よりも不幸な人、私よりも偉大な人」と絶賛。中村女史の言葉が深い。 「人の命とはつくづく不思議なもの。確かなことは、自分で生きているのではない。生かされているのだということです。 どんな所にも必ず生かされていく道がある。即ち人生に絶望なし。いかなる人生にも絶望はないのだ」(p220)
今、この時代を生きる日本人として知っておくべき、語り継ぐべき事
といった事をはじめさまざま、本書では日本人の我々が知らない事について書かれており、 なぜか普段に口にしづらくなってしまっている、日本人である事を誇りに思える史実、事実、事柄が、数多く綴られています。 日本人である事に自信、誇りを持てない類いの情報は意図せずとも耳や視界に入ってくる環境ですが、 本書で紹介されている事も事実として存在していたわけで、こういった事が広く日本の間で共有され、語り継がれて行く事も、この時代に生かされている我々、日本人として担っている役割なのではないかと考えさせられました。