創設3年目にして経団連を超えて、国内最大の経営者交流団体となった パッションリーダーズの近藤太香巳代表理事の無料講演会に出席。
4月に参加したアンソニー・ロビンズが登壇したセミナーズ・フェスタで築けたご縁をきっかけにした出来事。 続きを読む 近藤 太香巳社長に学ぶ、生き様と格好いい選択:パッションリーダーズ講演会
創設3年目にして経団連を超えて、国内最大の経営者交流団体となった パッションリーダーズの近藤太香巳代表理事の無料講演会に出席。
4月に参加したアンソニー・ロビンズが登壇したセミナーズ・フェスタで築けたご縁をきっかけにした出来事。 続きを読む 近藤 太香巳社長に学ぶ、生き様と格好いい選択:パッションリーダーズ講演会
(2014年)7月以来、「食と旅を通して、知らなかった世界を楽しく学び、自分のこととして考える体験を提供します。」とミッションに掲げるランチトリップのフライト(イベント)に搭乗(参加)。
前回はラオスでしたが、今回はメキシコ。 続きを読む ランチトリップ、メキシコ便に搭乗。荒野にサボテンのイメージは、果たして
今週、ラーニングエッジ社の清水康一朗社長の『起業家・経営者に必要な「7つの力」』と題されたウェビナーがあり、内容への興味から2時間弱視聴しました。
来月開催される秋のセミナーズフェスタのプロモーションで企画されたもの。
まず、清水社長が振り返って、上手くいっている経営者と上手く行かない経営者に明確な傾向があるとして、上手くいっている経営者は・・
1. 自分だけでやらない:仲間とやる、人と会って相談する、コミュニティに参加する
2. 学び続けている:本だけでなく、先人から学び続けている。解決すると次のステップに行けるようになる。
3. 7つの力を身に付けている
7つの力とは「富と衰退を分ける7つの力」とされ、下記のように整理される。
1. ビジョンを描く力
2. ストーリーの力
3. マーケティングの力
4. チームをつくる力
5. 富を生み出す力
6. 逆境を乗り越える力
7. 時代を超える力
主な内容について言及すると「ヴィジョン」を描く力は、多くの人が前に進めないのは「ヴィジョン」がないため。
自分の中から涌き上がってくる思いに従って、まず(自分の)「ヴィジョン」を描く事。=人から聞いた事だけでは、人は動かない。
その「ヴィジョン」が「ストーリー」になっていると、人が付いて来たり、共感を生む源泉となる。
人は潜在的に物語の主人公、登場人物になりたと思っており、常に「ストーリー」を探している。
具体的には自分の未来が10年後、20年後と、どのようにしたいか、何をしているか、10年毎に何が出来たら良いかを紙に書き出す。
事業とは、それらを体現したもの。自分の未来を描く事で、価値観が明確になる。
ヴィジョン、ストーリーが元になり、7つの中でも重要度の高い、「マーケティング」の力を働かせる事になる。
また、どのような企業、故松下幸之助さん創業のナショナル社しかり、時代を牽引するApple社しかり、
「逆境」に直面しない企業はないとして、やるべき事をしっかりやって、やってはいけない事をやらないようにする。
「逆境」とは、潜在的な問題を気付かせる機会となる。「逆境」に直面して鍵を見付けて、鍵穴に鍵を差して扉を開けていく。
ウェビナーの後半では来たるセミナーズフェスタに登壇するカリスマ・コンサルタントのトム・ピーターズの映像の紹介もあり、
「ビジネスの成功に関して3つのHを理解すれば、それ以外は必要ありません」と題された1分程度のコンテンツ。
3つのHとは、スターバックス社のハワード・シュルツ社長、世界的ホテルチェーンのヒルトン、アメリカの格安航空会社サウスウェスト社の共同創業者の一人ハーブ・ケレハーの頭文字を取って表されたもの。
3つのHから抽出されたエッセンスが
Stay In Touch : 連絡を絶やさないこと
Sweat The Details : 細かいことを気にすること
It’s Always The People! : 常に人が全てだということ
の3点に修練される。
といったところが、振り返っての個人の学び。特に、ヴィジョンとストーリーですね。
ストーリーの重要性は、先日紹介させて頂きました神田昌典さんと清水社長の対談動画でも主たる内容を成すものでしたが
>> 神田昌典さんが言い切る「全員成功するんです。成功しない理由が無いですね。」の時代背景 <<
改めて個人の物語、「ストーリー」の重要性が問われている時代だと再認識する機会となりました。
日本の真実の歴史を学び、「日本を愛し、日本人の誇りを持つ」とのコンセプトで開催されている池間哲郎さん主催の日本塾の講義に参加。
8月に初回を迎えた講座は、今回が2回目。8月は台風が直撃するかのタイミングでしたが、今回も迫り来るという状況・・
>>「日本を愛し、日本人の誇りを持つ」を訴える「日本塾」の初回講義へ行って来た <<
7月以来のCotton Clubへ。GINGER BAKER’s JAZZ FUSION。Ginger Bakerの名を耳すると、多くの人が想起するのは Eric Claptonと結成していたCREAMですかね。
CREAM “Sunshine Of Your Love”
方や自分は Gary Moore、Jack Bruceと組んだバンドというより、プロジェクト色の強かったBBMの”Where In The World”という1曲に魅了され
BBM “Where In The World”
その曲で叩いているロック史に名を刻む伝説のドラマーが来るならと、楽しみに丸の内まで出掛けてきました。
といっても、今回は公演に記載されている通り、演奏されるジャンルはJazz/Fusion.-
GINGER BAKER’s JAZZ FUSION show promotion video
Cotton Clubと言えば、公演終了後にサイン会が楽しみで、しっかり、BBMのシングル ” Where In The World ” も仕込んで行きましたが・・
場内に入るなり、物販売場に並ぶGinger Bakerの直筆サイン入りTシャツ、LP、CDにフォトブック。
思わずスタッフの方に「サイン入りグッズが出ているって事は、サイン会無しですか?」と質問すれば、「そうなんですよー」と、、
サイン会の後、上手い事いけば写真も撮れたのになと。
但し、会場に来ないと買えない直筆サイン入りCDを購入して、ちょっと得した気分に。
単なるサインというより、色使いも意識された感じはジャケットデザインと合わせアートのセンスも伝わってきました。
今回は無料招待枠で来れ「ラッキー」と思ってましたが、ホールに入るなり「やっぱりそうだよな」と、開演1時間前ながら、かなりの客入りで、センターゾーンには立ち入れずサイドのカウンター席へ。
結果的にGinger Bakerがステージへ行くのに背中越しを通ってくれたり、ドラムセット近くであったため間近でプレーを見れたり、格好のポジションを確保出来た事に。
歩く姿から健康状態は良くない様子で、本人もMCで「これくらいが精一杯」だと、1時間に満たない公演時間に詫びが入っていましたが
現役75歳。本人から漂う風格に、喋る姿も万全そうにないながら曲間毎にMCをして、” I’m 75 years old sick man ” , ” We want money “といった英国人らしいブラックがかったジョークに
最後はアンコールに応えてくれコール&レスポンスと。往年と比べると演奏力はショウマンシップに溢れていました。
春先に自分の目にしたビジネスカテゴリーの本で、ジンジャー・ベイカーの生き方について語られていた一節があり
>> 週末の解放感で感じたいポール・アーデンが広げてくれる思考の幅 <<
今回、公演を見る一因になったと思っていますが、一人のレジェンドと称されるミュージシャンがドラムと戯れるかの姿が印象的な公演でした。
連日、表参道に行って、神田昌典さんの「ビジネスプロトタイピング講座」に参加。
>> 近藤太香巳さんが教えてくれた今、小さな事で活躍している事の大切さ:神田昌典ビスネスプロトタイピング講座 その弐 <<
今までの2回は2時間+α(懇親会等)でしたが、今回は11:00〜18:00過ぎまでの長丁場。
神田さんの講演は「いまのビジネスは世界を挑発するモデルをつくれ!」と題され、最も楽しみな日でありました。
自ずと家を出る時間が早まり、開場時刻を若干過ぎた頃にACTION CENTERに到着すれば、神田さんが板書に没頭されている最中。
最前列で空いた場所を目指せば、神田さん目と目が合い、自然な流れ挨拶を済ませ、着席。
前日の近藤太香巳社長の「情報が多いと動けなる」の引用から始まり
プールで泳ぎ方を覚える際、いくら泳ぎの手順を覚えても水の中に入って泳いでみない事にははじまらないのは、起業についても一緒だと。
ここから話しは一気に、神田さんの学生時代にワープして、上智大学の頃「社会に出て何をすれば良いのか」分からない状態で、
外国に行かせてくれるとの理由から、半年間、図書館にこもって外務省試験の勉強をして、3年生の時に合格。
但し、入省後に外交の役割を論文で求められ、「意義なし」と回答して不合格とされたり、通訳の試験は話しにならない点数で不合格にされたり等、
一見、上智大学→外務省と輝かしいキャリアと思っていましたが、モラトリアム世代と称された将来、何をやっていいのか分からない状況での苦悩が聞け、イメージとのギャップがありました。
もともと外国に行かせてくれるとの動機で入省していた事と、周りで上級職で合格された方の仕事を見ていて
長く勤務される意思はなく、アメリカでMBAを取るなどして、民間の世界へ。
役人上がりで、営業等の経験はないことから転職に苦戦したり、早々にリストラの危機に直面したり。
海外の家電メーカーで苦労して販売した冷蔵庫の利益と、ふと事務所に飛び込んで来た無料で配られるとの携帯電話のキックバックの値段が同程度である事や
出張中に視界に飛び込んで来たダイレクトマーケティング、マインドマップ、フォトリーディングとの出会いに衝撃があり
「自分の人生を築く出逢いは、一瞬のように築かれる事」を認識。
その中でも、ダイレクトマーケティングの自分から営業を仕掛けるスタイルではなく、(自分の)商品が欲しいと思わせる人を集める手法、視点の切り替えは大きな出会いとなる事に。
そこで得られた知識を、勤務先にバレない形で小予算で実験を開始。1台も売れないなどの試みがあったものの、失敗の度に新しい出会いがあった。
知識との出会いを学びに止めず、実践に移されたところに、神田昌典ブランドの始まりが垣間見えました。
この段階で神田さんが学ばれた事に、「知識を見付ける前に動き出す」、インド人同僚からの「(理屈はいいんだ)キャッシュフローを作れ」との教えが胸に刻まれた。
具体的には今日の1万円を翌日10,100円にする感覚。キャッシュが入っても、ロゴを作ったり、名刺を作ったりする事にお金を回してはいけない。
起業とは、少しでも自分の器にお金が入ってくる場所、仕組みを作る事。
ここから、ビジネスの本質への切れ込みがあり、
「粗利 x リピート」の公式がとても大事で、殆どの起業家が失敗するのは粗利が低過ぎる。多くの人は仕入れると粗利を30%程度するが、最低でも60〜70%、本来は80〜90%は欲しい。
・粗利はどれ位取れるか?
・リピートするのか?
この二つの問い掛けは、とても大切。これを踏まえ1,000人の顧客がいれば、大概のビジネスは回るとの事。
また、起業をする上で大事な事は、実際に起業をしている人と一緒にいる事。
神田さん流の表現では、起業してヘラヘラしている人を回りにおいて、セルフイメージを上げる。(笑)こんな事でも起業出来るんだといった感覚。
例えば観光バスの中古車販売のサイトを作ったりなど、手段は様々。
起業には3つのプロセスがあり、まず「生活」するため。次に「地域」のため、そして「上場」。
地域、上場は社会性を帯びますが「上場」に関してはメリット、デメリットが様々存在するため、選択的となる。
ステージも「EGO(欲)」「SOUL(内面の充実)」「SELF(自分自身)」と3つに分かれ、男性は「EGO」から入る事が多く、女性は「SOUL」、40代から入る事が多い。
ここに今回のポイントがあって、始められるなら「SELF」から。
この事が分かっていれば、楽。その他、起業に関するインフラ的な機能は、無料(若しくはそれに近い状態)で備わっている。
人を集めようとすれば、分単位で優秀な人材を探すサービスは提供されているし
お金を集めると、それに見合う人が集まって来る。
その上でダークサイドに落ちない信用を身につけている事が大事。
起業とは、つまり自分自身が何者であるかを見付け出す事。
と、このような内容で神田さんのパートで2時間20分程度。午後は神田さんの全能思考ことフューチャーマッピングで
ライヴ講義参加者24名で共通したビジネスモデルを作ろうとの試み。実際、自分が発言した内容が板書されると俄然、当事者意識が高まりました。
で、この後、懇親会。約20名の参加者に神田さんが含まれ、左横のポジションをがっちりキープ(笑)
「多くの人はお金は努力しないと稼げないと思い込んでいるが、神田さん曰くお金は想像の産物に過ぎない」と。
であるとか、神田さんが捉える中国でのビジネスの仕方(/日本国内で稼ぐ事は至難な時代)など、この場で3時間。
自分の日常を切り離す、感覚を書き換えていくには絶好の場であったと言えますが、(神田さん/成功者の真横で3時間)よく頑張りました(笑)
いつもはどんなに疲れても、ブログ書く気力は残っているものですが、金曜、土曜は帰宅するなり、寝落ちしてしまう感じで、自分にとって、雲の上の世界を間近で体感する尊き2日間の通過点でありました。
神田昌典さんが、最初で最後、起業家育成を手掛けるプログラムの「ビジネスプロトタイピング講座」の第2回講座に参加。
今回は、株式会社ネクシィーズの近藤太香巳社長の登壇。近藤社長の講演は4月のセミナーズ・フェスタ以来、2度目。
近藤社長の最も人数を集めて行なった講演がセミナーズフェスタでの約6,000名で、最小が今回の30名程度。
ビジネスプロトタイピング講座の初回は・・
>> 藤原和博さんが教えてくれた「それぞれ一人一人」の時代の「稼ぎ方」:神田昌典ビスネスプロトタイピング講座 その壱 <<
2,000名規模のオンラインでのUstream受講者が居たものの、今回は非公開。
「無料で聴講出来ますよ」と情報を流して自分としては冷や汗ものの、史上最年少で上場を果たした起業家の話しを体感出来る稀少な機会。
近藤社長が起業したのは若干19歳。当時はべンチャー、アントレプレナーといった言葉はなく、
「この若造に何が出来る」と門前払いされるのが常であったそうな。
良かったのは、情報が無かった時代なので考えながら動いた事。
近藤社長が起業志望者向けに講演される機会は多いものの、経営者になる人が少ないのは、今の時代、情報に溢れていて考え過ぎて行動出来ていないと。
近藤社長が定義する仕事は想像と工夫だとして、以下のレベルに分類される。
三流・・・期待されない人
二流・・・期待されても出来なかった人
一流・・・期待に応えた人
超一流・・・期待を上回った人
一流と超一流の間はミリの差だとして、なり方は難しくない。
例えば文章を読むにしても熟読に熟読を重ね、句読点の打ち方であったり、図表への挿入であったり、目の前のものをピカピカに磨き上げる人が超一流。
近藤社長は社会に出て、上記、時代背景もあり、超一流を目指さないと相手してもらえなかった。
とにかく大事な事は、毎日、これがベストか?これがベストか?と問い続け、今、出来る事の最善を尽くす事。
近藤社長は創業から上場に至るまで、その間には上場取消などの辛酸を舐めながらも
華麗なビジネスキャリアを築かれていますが、その分、人脈も多方面に広がり
その中で、お聞き出来た処世術に好きな人、大切な人には徹底的にゴマをすれというもの。
例えば石原元東京都知事から突然のヨットの誘いを受け、二つ返事で快諾。二人でクルージングに出た際、
急な誘いで、いろいろ事情/用事があったであろうにもかかわらず、何も言わずに駆けつけてくれた事に、「だからお前は信用出来る」と褒められたりといったエピソードが紹介され
ご自身の経験で、好きな人と関係を深めていって仕事などで上手くいったケースは数知れぬも、逆に「嫌だな」と思いながら打算的に付き合った結果、上手くいった事は一度もなかったとの振り返り。
普段からマイナスの事は言わない心掛けをしているものの、思わず口からこぼれてしまった時には「うそうそ」と言って即座に取消し、運が逃げないように配慮。
嫌な事があったら作文する事を習慣にして、5行も書いているうちに思考が前向きなものに変わっていくようになる。
未来の事は分からないし、どうでも良い。大事なのは、今。今、小さな事で活躍している事が、これからの大きな事につながる。
暇な人ほど悩んでいるとして、一生懸命頑張り続けていると人間力は勝手についてきて、頑張る事で夢はどんどん膨らんでいく。
企画という事に関して話しがあり、無から有を生み出す発明を想像しがちであるが、自分(近藤社長)はコレとコレを組み合わせたら面白い事を見付ける発見家である。
街中でいろいろなコピーを見て、それが生まれた背景を想像したり、自分が政治家だったら、どういう風に喋るかといった事を常に考えている。
創業の地、香川県高松市から東京に進出したもののビジネスパートナーに騙され、大阪から上京した父親に里帰りを勧められるものの
東京で再起を誓い、渋谷駅で涙ながらに別れた父親に大声で叫んだ事で、覚悟が芽生えた。
ITバブルが弾け、上場取消、世の中が騒然となり、銀行が総撤退の動きを見せ、一気に倒産の危機に直面するも
社員が取ってくれたファイティング・ポーズに鼓舞され、SBIの現北尾会長に融資を申し出たところ15分で30億円の支援を得る。これは後に300億円にして還元したとの事。
後に孫正義さんと事業を共にする事があり、近藤社長が目一杯の見込み値を告げたところ「一桁足りない」と返され、それは途方もない数字であったそうで・・ 孫さんのスケールを実感。
後に、孫さんの求めていた数値を達成することになり、頑張れば頑張るほど凄い人に出逢える縁に恵まれ、こういった人たちが背伸びさせてくれる事を実感。
裏返すと、こういった出逢いに恵まれないと自分の枠は広がらない。
ピンチとチャンスは常に隣り合わせ、ピンチの時は社員にその状況を共有する事が大事だが、必ず解決策を提示する事が大事。
そしてリーダーは奇跡を起こす。
その裏側では、今でも月に5〜10日は誘眠剤の力を借りないと寝れない日があるそうな。
講演は、近藤社長が指摘されていた通り、4月に耳にしていた内容と骨子は一緒でしたが間近で聴いて伝わる人間性に思い。
よく「試練は乗り越えられる人のために与えられる」といったことが言われますが、近藤社長流に表現すると「人は絶望を希望に変えられる」。
これでも、まだ自分の能力30〜40%しか発揮出来ていないと振り返られ、何よりの自慢は社員との関係。
毎年、ご自身の誕生日は盛大に祝ってもられるとの事。昨年は社員から集められたお金で、数百万円のジェットスキーがプレゼントされたとの事。
別の場所で聞いた話しでは、東証一部上場の社長ながら、社員一人一人に誕生日のメールを欠かさないとか。
帰り際、一旦退場しかけ、聴講者一人一人と握手にしに戻ってきた姿に
起業後の実績は超一流の領域ですが、裏側には精緻な気配りが行き届いての事を実感させられました。
日本の真実の歴史を学び、「日本を愛し、日本人の誇りを持つ」とのコンセプトで開催されている池間哲郎さん主催の日本塾の講義に参加。今回は8月に続いて、2回目。
>> 「日本を愛し、日本人の誇りを持つ」を訴える「日本塾」の初回講義へ行って来た <<
今回の講演のテーマは「日本の成り立ち、古事記と皇室」。なお、主催の池間さんは NPO法人アジアチャイルドサポートを運営され
寄付等を通じて得られた資金で、アジアで恵まれない地域に学校を創設される運動を行なわれています。
講義では、運営を通じてご経験された生々しい話しを聞ける場でもあり、
前半は、ラオスでの活動のフィードバック。聞けば、謙虚さを持つ心など、外国の中で日本人に最も近いメンタリティを持つ国民性との事。
アジア最貧国に位置付けられ、ラオスで見られる光景は100年前の日本の地方の農村地帯と形容されるそうな。
水道の蛇口を捻り、出てくる水は赤茶けており、飲んで一発で命を落としてしまう児童も少なくなく、それは風邪を引いただけでも同様の結果を招き得る。
児童に割り当てられた1食当たりの予算は僅か20円。それも昼食と夕食のみ。学校で昼食を告げる鐘が鳴らされると、我先にと食べ物にありつき、さながら争いが行なわれているかの光景が見られる状況。
領土内では米軍の容赦なき空爆により、至る所に不発弾が散在してる状況で、国の発展を妨げている。
そういった環境下、池間さんが現地の人たちと浸食を共にして、限られた予算で学校を建て、子どもたちに学童用具一式を与えた時にみられる笑顔が何よりも活動の原動力になっているとのお話し。
実際、写真を目の当たりに出来る機会に恵まれましたが、日本の現状とは比較にならない状況で、子どもたちの眩しいばかりの笑みに考えさせられました。
また、日本軍が現地に80kmの「日本道」と呼ばれる道路を造成した事実がありながら、当時を知るラオス人が80歳以上の高齢に達しており、真実が伝承されない状況も進行しており
池間さんは現地でのヒアリング、日本人らしからぬ風貌からその時代を知る人々から日本軍についての印象を聞いて回っているそうですが、否定的な反応は全くなく、非常に感謝されているとの事。
報道で知る限り、アジア諸国の中で日本の存在感を発揮出来ないでいる中、前回紹介したパラオでの事例と並んで、かつての我々の祖先が行なった善行は後世にもバトンタッチしていきたいですね。
後半は、日本神話と皇室について。池間さんが海外に出て行くと、「日本って、どういう国?」との質問をぶつけられる事が多いそうで
池間さんは、日本国旗の説明から入り、漢字の意味を教えて、「太陽の国」「太陽の子孫」である旨に言及されるそうな。
池間さんが鳴らす警鐘は、「地球人」と「国境が無くなった」といった表現で一括りにされてしまう事。
日本人が一人一人、日本人としてのアイデンティティを持っていないと、発せられた疑問には答える事は出来ない。
国民が自国の建国の歴史を知る事で、国に対する誇りを持てる礎となり、日本人には国の成り立ちが理解されていない。
その事が国歌、国旗を愛さなくなってしまう状況を招いている。
確かに今回、講義室に入った際、壇上脇に国旗の掲揚があり、無意識に身構えてしまうような心の動きがあり、(自分の国の国旗なのに)この条件反射(摺り込み)の正体って何だろうなと。
また、日本人が知らない事として「世界最古の国」としてギネスブックに認定されているのは「日本」で
なぜか英語版にその記載があるものの、日本語版には無いそうな・・。
国の成り立ちを学ぶ上では、その国に伝わる神話を疑わない事が前提で、日本の場合、美化された内容でなく、非常に人間らしい描写で綴られているのが特徴だそうな。
講座では、イザナギ(男神)、イザナミ(女神)に始まり、天照大神、ツクヨミ、スサノオといった日本史を語る上で重要な神々など、時間を割かれ説明が有りました。
皇室に関する話題では日本が敗戦を受け容れ、他国では敗戦国の国家元首は民衆によって処刑されるなどの事が通例であるものの
昭和天皇は日本全国を廻る巡幸で、時として群衆の中をかき分けて歩を進める状況を迎えながらも、国民との間に衝突がなかった。
この事はGHQほかに象徴的な出来事として移ったようで、また、天皇家が約1,000年もの間、居住した京都御所の壁の低さも
王室と民衆が対峙し、高い城壁に守られていたり、地勢条件的に配慮された場所に居を構える事が一般的な事と比較すると
国民と皇室の距離を示す世界的に珍しい間柄であるとの事。この事は「大御宝」(天皇→国民)/「大御心」(国民→天皇)といった言葉で語られている側面もあるそうな。
上記、今回、初めて耳にする話しが多く、正しく理解出来ているか自信ないところもありますが
受け身でいると、このような側面で日本史、特に近現代史については学べる事は無く、自分が生まれ育っている「日本」という国の真実、魅力について、学べる貴重な機会となっています。
なお、前回も書いた通り、池間さんは、ご自身の歴史観を押し付ける意思は毛頭なく、むしろ「池間哲郎を疑え」の視点も推奨し
日本人の一人一人がしっかり自国の歴史について学ぶ事の大切さについて説かれています。
自分自身にとっては、この半年(日本塾のプログラムは2015年1月迄)が、その機会になりますが
学びが深まるにつれ、誇れる事、反省すべき事、両面からしっかり歴史観を体得したいとの思いを強くするに至りました。