お笑いコンビ霜降り明星 せいやさんの初著書『人生を変えたコント』を読了。
(2024年)11月末の前田健太選手イベント後、ふら〜っと立ち寄った書店でサイン本を見つけ、
即反応していた経緯。
どうしても伝えたかった切なる思い
本書は
” イシカワは「この学生時代の経験をいつか本にしたい。文字に書いて本に出したい」そう思っていた。
同じような境遇の人たちに、ひとりでも多くの人たちにこの経験を話したい。そして今、2024年。32歳になったイシカワはこの本をあなたに読んでもらっている ー “(見返し/ 註:せいやさんの本名 = 石川晟也)
との思いから実に17年の時を経て出版に至った半自伝小説。
その内容は、
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Jリーグではガンバ大阪をAFCチャンピオンズリーグ優勝などに導き、日本代表でも国際Aマッチ出場が歴代最多152試合出場を果たし、2024年1月9日、移籍したジュビロ磐田で現役引退を発表された遠藤保仁さん(現 ガンバ大阪コーチ)の半生記『7』を読了。
Xで発売を知り「サイン本・・」 と思っていた折、入手機会を捉え手元に引き寄せていた著書。
サッカーの原点 〜 Jリーグ30年を飾るMVP
本書は、1998年から2024年の年ごとに
遠藤保仁さんの端的な振り返りを軸に構成。
本編では、
“「試合をして体が疲れるのは当たり前。終わったときに「今日はよく考えてサッカーしたから頭が疲れたな」って思えるようなプレーヤーになりなさい」と言ってくれた。”(p39)
と原点と位置づける桜島サッカースポーツ少年団の指導者 藤崎信也先生からかけられた言葉に、
” いずれにしても誰が見てもわかるヒーロー的な活躍をするというより、演出家がいい。陰でゲームを操っている存在、目立たないけれど、いないと回らない。そんな選手になりたかった。”(p.58)
と目指したサッカー選手像に、
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活躍の舞台を日本国内から海外のリングへ移す女子プロレスラージュリア選手の半生記『My Dream ジュリア 自叙伝』を読了。
(2024年)8月下旬に開催された刊行記念イベントの
対象書籍として入手していた著書。
本書は、
” 私がこの本を書こうと思ったのは、自分の歩んできた少し不思議な人生を皆さんに知っていただきたかったのと、一つの夢を叶えたいという気持ちからでした。
私の夢は、本書の最後のほうにも書きましたが、女子プロレスが、もっと夢を持って飛び込める世界になることです。”(p226)
との思いが込められ上梓に至ったもの。
内容は、
“「こんなレベルでデビューさせちゃうんだ! って思いました」”(p96)
とデビュー戦後にタッグを組んだ大先輩井上貴子選手にこぼされ、
” クリスマスの時季に、友だちが差し入れを持ってボロアパートに遊びに来てくれて、パーティーをやっていたら突然電気が切れた。停電かと思ったら違った。電気代の支払い督促をずっと放置していたせいだった。”(p99)
と、散々なスタートとなったリングでのキャリアに現実。
“「予習してほしいんだ! 好きな選手や好きな技があったほうが、観戦してて楽しいから!」
今度は、新日本プロレスや中邑真輔 vs 飯伏幸太や、石井智宏 vs 田中将斗、石井智宏 vs 内藤哲也のDVDを持って来て、私に押し付けてくる。
はぁ〜!? 私、専門学校とキャバクラで睡眠時間2時間とかだよ? 鬼なの? なんなのこの人、同じ生き物とは思えない!
そんなふうに思いつつも、私は空いた時間にこの3試合のDVDの再生スイッチを入れてしまった。私をプロレス色に染めた3試合。これがなかった、私の人生はぜんぜん違うものになっていたのかもしれない。頸椎ヘルニアになんてなってないだろうし、お尻の骨にもトゲなんて生えてなかったし、何より女子プロレスにジュリアは存在しなかった。”(p12)
その前・・
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作家 細田昌志さんの『力道山未亡人』を読了。先月(2024年6月)末、闘道館で開催された本書
出版記念トークショー&サイン撮影会で入手していた経緯。
本書は、作家 故安部譲二さんが細野昌志さんに
” 「敬子さんを書いてよ」
「え?」
「田中敬子。ほら力道山の奥さんだった」”(p309)
と提案を受け、安部譲二さんの死去により頓挫しかかるも新たな橋渡し役の出現により出版に至った著書。
序盤から
” 腹部を刺され、山王病院に運ばれた力道山は、応急手当で済ませると、医師の忠告に耳を貸さず「家に帰る」とわめき散らしたという。
「病院」で手術をすると警察に漏れてしまって、報道されかねない。そうすると「力道山は強い」というイメージが損なわれる。そのことを、まず考えたんでしょう」(田中敬子)”(p21)
緊迫の場面が描写されつつ、力道山と田中敬子さんがそれぞれの道を歩んでいた頃から
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先週末(2024/6/30)は、昨年8月の山崎照朝師範イベント以来で闘道館 2Fを訪れ、
『力道山未亡人』出版記念トークショー&サイン撮影会 に参加。
昭和初期の大スター力道山に焦点当てられた内容だけではなく、手元に1枚力道山(敬称略)サイン入り写真を持っており所縁ある方と写真撮れることに魅力を感じ開催を知り即反応。
登壇されるのは『力道山未亡人』を上梓され、第30回小学館ノンフィクション大賞を受賞された著者の細田昌志さんに、
力道山未亡人こと田中敬子さん。
トークは『力道山未亡人』の構成に従って、力道山に薫陶を受けたアントニオ猪木さん死去が打電された当日(2022/10/1)のお話しに始まり、
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加山雄三さんの『俺は100歳まで生きると決めた』を読了。
2024年4月11日、加山雄三さんの87歳の誕生日に
茅ヶ崎カフェで開催された発売記念サイン本お渡し会で、加山雄三さんよりお手渡し頂き入手していた著書。
本書は、
” 2022年の大晦日、「NHK紅白歌合戦」で歌った後、俺は100歳まで生きると決めた。”(p3)
と決めた未来への誓いに、
” 俺の全盛期は70代だったんじゃないかな。コンサートで歌ったり、テレビ番組であちこち歩き回ったり、70代は毎日充実していたからね。その延長線上に、今の80代の元気な暮らしがある。
そんな俺の70代、それまでの歩み、そして80代になった今、さらに未来について、この本で話していこうと思う。”(p6)
と189ページで簡潔に加山雄三さんが辿られてきた軌跡について
第一章 輝かしき俺の70代
第二章 茅ヶ崎の海が俺を育てた
第三章 俺の芸能生活、山あり谷あり
第四章 80代、まだまだ青春
第五章 今の俺、これからの俺
の章立てに沿って言及されています。
スター街道と乗り越えた試練と
加山雄三さんというと・・
” 親父は、俳優の上原謙。おふくろも俳優で、小桜葉子。 ・・中略・・
茅ヶ崎の家は広くて、敷地は500坪以上あった。おふくろは岩倉具視のひ孫にあたって、経済的に恵まれていたんだ。”(p56)
という境遇のもとに生を受け、順風満帆にスター街道を歩んできたものと思いきや
” 大学時代はミュージシャンになろうとは思っていなかった。俳優になりたいとも思っていなかった。企業に就職してふつうの会社員になろうとしていたんだ。そのために準備もしていた。企業の資料も集めていたんだ。”(p86)
との考えを友人(峰岸慎一さん)の
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プロ野球(NPB)福岡ダイエーホークス、千葉ロッテマリーンズ、その間MLBでシカゴ・ホワイトソックスなどで世界一を経験された井口資仁さんの『井口ビジョン』を読了。
サイン本入荷情報に反応して入手した著書。
本書のタイトルに掲げられたビジョンとは、
” ビジネスにおける「ビジョン」の意味を聞いた後、僕の耳には違和感なくスッとなじんだことを覚えています。
振り返ってみると、僕は「ビジョン」という言葉こそまだ使っていませんでしたが、子供の頃から自分の目指すべき未来像をしっかりと決め、そこに至るまでの過程を逆算し、今取り組むべきことを明らかにするという作業を繰り返してきていました。”(p5)
と井口資仁さんのキャリアを支えたキーワード。本編では
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ギターリスト Marty Friedman:マーティ・フリードマンの『マーティ・フリードマン自叙伝 音旅のキセキ』を読了。
(2024年)3月下旬に開催された
発売記念で入手していた経緯。
本書について、マーティ(・フリードマン)さんは
” この本を作ろうと思った理由についてシンプルに言えば、「僕がどれほどおもしろい人生を送ってきたかを知ってもらいたかったから」ということになると思う。”(p19)
と冒頭の「旅路に向けて」で述べられ、
TOUR-01 少年マーティの形成
TOUR-02 本格的バンド活動の始まり
TOUR-03 ジェイソン・ベッカーとカコフォニーとソロ・アルバム
TOUR-04 90年代とメガデス時代
TOUR-05 メガデスで感じた達成感・・・そして脱退
TOUR-06 ソロ・アーティストとしてのアイデンティティ
TOUR-07 TOKYO LIFE!
TOUR-08 音楽がつないだ日本でのキセキ
TOUR-09 ソロ・アルバムへの情熱 ー すべては音楽のために
TOUR-10 まだまだ音旅の途中
という章立てに沿い、マーティさんが語った内容が300ページに迫るボリュームで文章化されています。
・・Megadeth、そして日本 〜
本編では、
” ヘンな話、よく自殺せずに済んだと思うくらいだよ。自殺とまで言うとちょっと話が大袈裟になってしまうけど、僕の心は松浦亜弥とかに夢中なのに、実際に仕事としてやってるのはスラッシュ・メタル。その両極端な状況によく耐えられたものだな、と今でも思う。”(p173)
に、
続きを読む マーティ・フリードマンさんが振り返った、ギターライフ、Megadeth、そして日本:『マーティ・フリードマン自叙伝 音旅のキセキ』読了 →
「冒険」に出たものだけが、大きな果実を手にすることができる