書店に立ち寄った際、ちらちら見かけ、気になっていた元読賣ジャイアンツ等で活躍したプロ野球選手の入来祐作著『用具係 入来祐作 〜僕には野球しかない〜』を読了。
書店に立ち寄った際、ちらちら見かけ、気になっていた元読賣ジャイアンツ等で活躍したプロ野球選手の入来祐作著『用具係 入来祐作 〜僕には野球しかない〜』を読了。
先日、読了した『逆境を乗り越える技術』の感想を石川知裕前衆議院議員にFacebookのメッセージ機能を介して送ったところ返信を頂きました。
感想というよりは、実態としては石川知裕さんへの激励的意味合い。というのは本に・・
先日、登録した覚えのないメールマガジンから、かつて『社長失格』を執筆された板倉雄一郎さんの講演会がある事を知り、参加。
(メルマガを)解除しなかった甲斐、でしょうかな・・。
講演中『社長失格』の刊行が1998年であったとの事で、15年程度が時間の流れとなり
本に書かれていた内容はすっかり忘れているものの、(本が)面白かった事は記憶されており、
それが唯一の拠りどころであったものの、終わってみて、その直感は正しかったと実感。また、板倉さんの気さくな人柄も大変印象的でした。
下記、講演の告知で用いられた資料の一つで、
この凸凹が講演を興味深くしているわけですが・・ 板倉さんが、それをユーモアを交えて話されるため
予定時間の1時間を30分オーバーする講演時間が「あっ」という間に。
その中で、板倉さんが得られた人生感は・・
上手く行っている時には果敢に攻め、動くべきであるものの、逆に不調を感じる時は無理に動こうとせず、そのタイミングでは自分自身を顧みたり、安定を図る事が賢明であるとの事。
講演は、かのビル・ゲイツも事業買収に興味を示した板倉さんが創業された企業の破綻劇に
その模様を描いた『社長失格』が導いた再起の足がかりに。
想定を超えて売れまくった得られた印税から続々と舞い込む断り切れないくらいの講演依頼。
そこで得られた資金をもとに株式投資で資本を膨らませ、平行して投資を研究。そこで得られた学びをセミナーという形で伝授し、板倉メソッド?でかなりの成功者を輩出したとの事。
起業を志されたのは、TOYOTAのソアラ欲しさにゲームソフト会社を立ち上げられ、
同僚の方と開発したソフトを売り込み行った先で、いきなり目的を達成。
聞けば小学生時代からお金を稼いでおられたそうで、当初は1回5、6千円といった規模から、それが高校生の頃には15万規模に拡大するなど、
天性というのか、ビジネス、お金を稼ぐという事に関しての嗅覚とスキルを強く感じました。
この事はセミナー後、行なわれた名刺交換会で、板倉さんが向かい合った方々の事業内容を聞いて
次々とコメント(当たるよ、こうやってみたら etc)や見解を示され、その切り替えの早さでも卓越した感じが有り有りと。
また、学びを得ようとして本屋で書物を手に取る人は多いであろうが、各自それぞれが持っている経験(過去)が、その人の最大の強みになるとの指摘もありました。
現在の板倉さんは従業員を雇う事無く(給与の支払い無し)、パートナーという形で10数名の方と事業(会社2.0)を展開されているとの事。
この形態のメリットとして、板倉さんの分析では通常の雇用形態を締結している会社の場合、事業に取り組んでいる人(会社員)が心底上手くいくと思っていないため
本来、上手くはずの事業であっても、そうなっていない場合が大半と推測され、
会社2.0(成功報酬型)で繋がっているパートナー制度であれば、事業に取り組む真剣度が違うため、得られる結果に大きな差が生まれると分析。
実際、勤務されている方々のモチベーションも高い水準で、ベンチャーキャピタルからの出資依頼も引きも切らない状況とか。
機会を見つけて、講演会、交流会といった類い足を運ぶ事が多いですが、南原竜樹社長@マネーの虎と同じく板倉さんに共通するのは
一旦、地に落ちても再起を遂げる逞しさ。キャリアを閉ざしかねない事も、一つの経験として乗り越えるその姿に、自分が惹かれている事を強く実感した今回の場でありました。
サイン会の時から始まった高田純次さん自伝「高田純次のチンケな自伝」の最終章、4回目。
前回は、やっと手にした安定を、浮気心で誘った女性と訪れた飲食店で劇団員時代の仲間と遭遇して、手放してしまうところまで。
>> 高田純次 part 3 : 記者が分析した「適当男の真骨頂」<<
今日、第5章から一気に最後まで読了しましたが、安定を手放す(=サラリーマンを退職)までには・・
仲間からの熱い勧誘であったり、燃える世界で頑張る仲間への羨望であったり、宝石のデザインの仕事を続ける事の限界を感じていたり等の事が入り交じって。
最後は、30歳という年齢や奥さんとお子さんの存在が気になったそうで、
この時に、すがったのは200万円の貯金だった。これで1年くらいは食いつないでいける。芝居がダメだったら、また宝石デザインに戻ることもできると考えた。(p121)
年齢に関しては・・
昨日に続いて、高田純次(高田純次のチンケな自伝)。
高田さんが「人生を左右(=人生の方向性が決まってしまった)したのは、大学受験失敗だったと思う。」(p77)と語っており、
当初は大学に進学して、高田さんのお父様の期待に応える形でサラリーマンになるつもりで、現役の際は5校以上の大学を受験するも、何れも不合格。
一浪の時は「グラフィックデザイナーはかっこいいと思ってね。(p78)」美術系の大学も含め、全滅。
お父様の期待も裏切り、近所からは「勉強のできる純ちゃん」と思われていたそうで、目の前が真っ暗になったそうな。
この辺り、現役時代に大学受験に失敗した自分にとって痛いほど分かる感覚です。
話しを高田さんに戻して・・ 二浪する気力は残されておらず、専門学校(グラフィックデザイナー科)へ進学。ここで落ちこぼれるわけにはいかないとの意気込みから、まじめに通学。
仲間と遊び傍ら、横尾忠則さんの著作は殆ど読破、卒業絵画も提出し
高田純次さんのトーク&サイン会から2週間。その時の対象書籍だった 高田純次のチンケな自伝 を読み始め。
一昨日、みうらじゅんさんが、ご自身の世間的イメージとは裏腹に、毎日不安と向き合っていた事を知り、意外だったと書きましたが、
>> みうらじゅんさんが説く「不安と安定」<<
まだ50ページ弱という段階ながら、その感じは高田純次さんも一緒なんだなぁと。
高田さんは脱サラ後、劇団の東京乾電池に所属して下積みを経て、やがてTVの世界を中心に頭角を表していく事になりますが
現在では事務所(テイクワン・オフィス)の社長。10名弱の社員が居るとの事。
一時は桃井かおりさん、岸部一徳さんといった所属タレントが在籍していたものの、他の事務所から声が掛かるとそちらに移籍されてしまう(p.24)そうで・・
高田さんの稼ぎで社員の方々の生活を支えているという構図。事務所創設以来、所属タレントの移籍等、様々あったようですが
近年の出来事では東日本大震災後(2011年3月)は仕事が入らなくなり、事務所経営は赤字に。2011年中は仕事が入らない状況が続き、
更に長期化すれば事務所経営が立ち行かなく事態も覚悟するまでに。幸い翌年からCMの仕事が入るなど上向きとなり
どうにか凌げたそうな。給料もCMで引っ張りだこの状況から億単位のお金を稼いでいると聞いても不思議に感じないと思いますが
実際は事務所経営の負担が増す事になるため、思われているほど高い事はないそうな(それでも安い事はナイと思いますが)。
高田さんのスタンスの一つがうかがえる言及に・・
「多少低めに自分を評価する方が好き・・中略・・自分をすごく過大評価する奴、夜郎自大みないなのは嫌だね。なんかすごく見苦しい。
オレたちみたいな仕事は、他人の評価でみんな決まる。仕事のあるなし自体が、すでに評価されてしまっているということなんだ。つまり、評価されていれば仕事はくるし、されていなければこない。だから、オレはそれ以上の評判は気にしないことにしている。(p17)
とクールな分析。劇団時代にがむらしゃらに働いた経験から、
「ほんの3日も仕事がないと、落ち着かなくなる。不安になっちゃう。・・中略・・夏なんかしばらく空白があくと、このまま仕事がなくなるのではないか、なんて考えて、怖くなるね。」(p19)
「バラエティの仕事だって、年齢的にだんだん出る機会は少なくなっていくよね。そんなことを考えていると、将来どうなるのかと、不安になるよね。」(p21)
だ、そうな・・ 高田純次でも?!って感じですよね。
高田さんが「長い間、芸能界で生き残ってこれたのは、なぜだと思いますか?」と問われた事があり、その回答は明確でないそうですが・・
「それなりに一生懸命やってきた、死に物狂いの時もあった。心がけていたのは、いつも明るく、楽しく、元気に ーーーそれだけだよ。」(p6)
ご自身の生き方を評して・・
「チンケだけれども、適当に真剣である。」(p7)
「隣の芝生は青い」や「アヒルの水かき(水面上では優雅に飄々と泳いでいるアヒルも水面下では一生懸命に水をかいている )」という表現があるが
端から見て羨ましく思える高田純次さんも、日々他の人と変わらぬ日常的な事を抱えておられ、将来についての不安も一緒だと。
それを人前では微塵も感じさせないところに、高田さんのプロ意識というのか、割り切りというのか。何れにせよ、人気の背景を感じさせられますね。
昨日、サイン会に参加出来て、嬉し過ぎちゃった高橋慶彦さんの「赤き哲学」を読了。
今の慶彦さんがあるのは、ベースになるのは(広島東洋)カープで学んだこと(p209)として
それを指導者の立場でホークス、マリーンズなどで深め、還元させてきたというプロ野球界での足跡。
本の最後では、低迷が続いたカープへの思いが綴られており、現実的には
現役時代に球団行事の「カープ激励の夕べ」をボイコットした経歴から困難が横たわっているようで・・
サイン会の際はファンから「次は是非、赤いユニフォームを」の懇願に
一瞬笑みを浮かべられ、「頑張りま〜す」と明るく返されていましたが、当事者だけが知る根深さもうかがわれる一コマでした。
その他、本で印象に残った事は圧倒的な練習量で、それはプロに入ってから足を活かすためにスイッチヒッター(当時、日本人選手初となる左右両打ち)を目指すことに起因しての事で
それは・・ 「1日24時間じゃ足りない」と感じるほど(p114)「何千、何万回・・・・・・おそらく百万回単位で素振りをしたでしょう。」
「実際、キャンプなどでとことんバットを振った翌朝は、目覚めると手が拳を作った状態のまま開くことができない。片方の手を使って1本、1本、指を広げていく。そんな日も珍しくありませんでした。」
この経験から・・
不可能、あるいは困難だと言われる物事にチャレンジするためには勇気が必要です。それと同じくらい求められるのが覚悟。挑戦してできないことはない。 ・・中略・・ 勇気と覚悟さえあれば何でも実現することができるのです。(p115)
努力が数字となって表れるまでは・・ 外で食事をしていても、彼女の家でくつろいでいても、就寝する2時間ほど前になれば「悪い。素振りするわ」と言い ・・中略・・ 年末年始も大晦日から年明けにかけて ・・中略・・
ある日、どうしても気分が乗らず「今日はいいかな?」と素振りをせずに布団に入った日がありましたが、どうしても落ち着かなくて全く寝られない・・・・・。
私(慶彦さん)にとってバットを振るという行為は食事をとるのと一緒。 ・・中略・・ 「継続は力なり」とはよく言ったものです。 ・・中略・・ 量は裏切らない。続けることで染みつくものもあるのです。(p.119)
と、勇気と覚悟を決めて挑んでいた現役時代の裏側に触れる事の出来ました。
慶彦さんと同じ境地でプレーをしていたのが、カープからタイガースに移籍した金本知憲さんで、常に全力疾走を怠らなかった姿勢を評価されています。
金本さんも「覚悟のすすめ」という著作(未読)を上梓されていますが、
特定の分野で突き抜けるには、習慣が自動操縦の領域に入ってしまう没頭の世界、
覚悟を決めて挑んだアスリートの心の強さ、存分に見せつけられました。
2週間前に感激のサイン会があった高橋慶彦さんの「赤い哲学」をちょろっと読み始め。
慶彦さんは野球人生を数多くの「出会い」によって成り立っていたと振り返られ、
そこから学んだ事は・・「自分自身の考え方を変えれば人は変わる」ということ。(p4)
甲子園にエースで4番の実績を引っさげ、プロ野球の世界に入るも
バッティング練習では、ろくずっぽバットにボールが当たらない状況から・・「1年でクビになるかもしれない」(p12)というところからの振り出し。
絶望感に包まれた状況を見兼ねた、後に監督となる古葉竹識コーチが歩み寄り
“慶彦、お前、なに落ち込んでいるんだ。プロでは足だけでも飯を食っていけるんだぞ”
の一言に ・・
“スペシャリティを磨く。私にとってはそれは足。走塁を生かすためにはどうすればいいか。打球をガンガン飛ばすのではなくゴロを打ったほうがいいだろう。私にとって幸運だったのは、1年目にしてプロでの生き方を決断できた”(p.13)
出会いと一言によって、ファンの記憶に留められる事になるプロ野球選手 高橋慶彦 の生まれる礎となった事が記されています。
監督に就任した古葉さんは、「お前(慶彦選手)が出るか、俺(古葉監督)がクビになるか」の覚悟で慶彦選手を使い続けたそうな。
私の印象では鉄拳制裁による師弟関係のイメージが強かったですが、そこには熱い絆があった事が読み取れます。
最終的にプロ野球生活18年(平均選手寿命10年以下であるそうな)、1,826安打、477盗塁(プロ野球歴代5位)と輝かしい記録も残した事になるのですが
この裏側にはカープの育成方針、「どんどん走れ」というのがあって、歴代2位となる盗塁失敗数206に裏打ちされての事。
足は速いが、走塁技術に乏しかった慶彦選手に「アウトになってもいいから走れ」、
この教えを最後まで守って走り続けたプロ野球人生であったとの事。
同様の事は、かのマイケル・ジョーダンもNIKEのCMで「数多の失敗を乗り越えたからこそ、自分は成功した」とキャリアを総括していますね。
まだ、第1章を読み終えたところですが、印象的だったのは、高校3年生となり、プロ入りを全く考えられず
大学進学を決めていた高橋慶彦さんのもとに、広島カープのスカウトから指名したい旨の連絡。
エースで4番として甲子園に出場しながら、プロのスカウトの目に留まったのは、ホームへのスライディングに可能性を感じてとの事。そこから慶彦さんは・・
“自分が意識せずとも、物事に対してひたむきに取り組んでいれば認めてくれる人間はいるもの”(p45)
同様の事は、昨年12月の講演会で野村克也さんも言われていましたが
講演会の模様 >> 野村監督こと野村克也さん講演会へ
プロ野球界に名を残す事になる選手も、その裏には、一所懸命、ひたむき、一つ一つに魂込めたからこそですね。