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「世界の中の日本を考える」:小沢一郎代議士と慶大堀教授の対談

先月、出た政経フォーラムが個人で新鮮な感覚を得られたので、その勢い?のまま、小沢代議士登壇の「世界の中の日本を考える」に行ってきました。

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前回は、懇親会付きの双方向とも言える催しでしたが、今回は慶応義塾大学の堀教授との対談。

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カメラ席背後に鎮座IMG_5571

憲法問題に国連との交わり方など約70分の質疑応答に近い形式で進められた対談の話題は多岐に及びましたが、影響度の高いところでは・・

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頭にある思いは、いつか具現化する:小沢一郎政経フォーラム その弐

前日 >> ジョン万次郎の生涯:小沢一郎政経フォーラム その壱 <<  の続き・・

講演会 ⇒ 懇親会

当初、11:00〜12:00の講演会の予定が30分ほど押して、第二部となる懇親会場へ隣の部屋に移動。

ここで、会議のため一旦中座されていた小沢代議士が戻られて、挨拶。

そして、講演を終わられて間もない中濱京さんの乾杯のご発声から・・

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ジョン万次郎の生涯:小沢一郎政経フォーラム その壱

 

小沢一郎代議士と私

政治の事はよく分からずとも、TVのニュース等から流れてくるいわゆる政局の話題は、人間の一番ギラギラした部分が出ている感じで、興味深く見ている時間が長かったですが

その中で、小沢一郎代議士は史上最年少で自民党幹事長に就任してから、その存在を知って・・ 自民党を飛び出して、非自民連立政権を作って

・・ いろいろあって(中略)・・

今度は民主党で政権交代の立役者となり、

・・また、いろいろあって(中略)・・

そんな履歴から、豪腕と称される力量や入れ替わりの激しい政治の世界で存在感を保たれていて、「一体、どんな人なんだろう」と漠然とした興味を長く持っていて

小沢さんについて書かれた本を10冊前後読んでいる筈ですが、先週、耳寄りな情報をキャッチし、遂に直にお会い出来る機会があり行ってきました。

来たからには、やっぱり?ポールポジション

開演が迫った頃の入場で、結構な人の入りで後方の席を覚悟したものの中に入れば見事に最前列中央にまとまった空きがあり、ほぼ真ん真ん中をゲット。真ん真ん中でも良かったですが、ちょっと遠慮が(笑)

野党になっても忙しい状況には変わりがないようで、ほぼ定刻に始まり、まず、小沢代議士が登壇。

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最前列中央で、この距離感。

外交関係で、中国と上手く行っていないのは周知の事実ながら、実はアメリカとも上手く行っておらず、図らずも来日時期が重なったオバマ大統領の来日時の予定からその辺が読み解けるとの事。

その辺の話題から30分強の講演で、次がメインとされていたジョン万次郎の直系5代目の中濱京さんの講演。

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ジョン万次郎直系五代目との中濱京さん

ジョン万次郎の生き様が熱かった

9歳で父が他界して幼くして家計を支える事になったジョン万次郎(当時、中濱 萬次郎)14歳で漁に出た際、黒潮に流され、無人島に流される事に。

この時に幸運であったのは、本来の黒潮の流れであったら無人島の行き着く地勢条件でなかったものの

潮の流れによって、九死に一生を得る事になったそうな。それでも無人島の生活を余儀なくされ、船舶は破壊され、大事な物資も流されしまった状況下で、実にその期間9ヶ月程度に及んだ。

再び訪れた奇跡

そんなある日、当初、立ち寄る予定のなかった米国籍の船舶が食料の確保を目論み島に接近。そこでジョン万次郎一行(総勢5名)を発見、救出。

そこから航路に沿って行き着いた先はハワイ。

しばしの滞在期間があったそうですが、ジョン万次郎の仕事ぶりに目が止まったホイットフィールド船長が、アメリカ本土への誘いをかけたところ、

ジョン万次郎はそれに応じ、他の4人はハワイに残る事に。(そのうちの2名はやがて帰国出来る事に)。

ジョン万次郎が行き着いた先はボストン(プリマスだったかな)。ホイットフィールド船長から惜しみい支援を受け、学校に教会に通う生活を送り、

教会に関しては当初の教会がジョン万次郎の来訪を拒否したため、受け入れ先に船長が改宗するほどの確固たる絆があったそうな。

学を身につけ、船乗りとしても地球を7周するほどの航海に出て、1回は乗り合わせていた船長の気が触れてしまい、代理を決める際に副船長に選出されるほどの溶け込みぶりであったとの事。

深まる祖国への思い

但し、母への思い、郷土(日本)への思いから、帰国するに十分な稼ぎを得られず、断腸の思いでホイットフィールド船長と別れ、

仕事の場を一転、西海岸のサンフランシスコで金鉱掘りに就き、帰国の費用を捻出。

十分な資金を稼ぎ、帰国が叶う状況に。もっとも、当時の日本は鎖国されており、アメリカの帰国が知られれば死刑も有り得た状況で、計画は入念に行われたとの事。

遂に帰国

予定通りに入国を果たしたものの、郷里の高知に戻る道中、長崎の9ヶ月間など、相当の足止めがあった。

晴れて郷里の土を踏んだ時には、息子は死んだものと思い、墓が建てられていたものの、帰国の強い動機の一つであった母との面会は遂げられた。

そこからアメリカの内情に精通する者として、江戸へ出向き幕府の聴取に応じるなど、後にペリー提督が来港して鎖国が解かれる状況の土壌作りに貢献。

もっとも条約締結時はスパイ行為等の疑いをかけられ、その場に立ち会う事は許されなかった。

世代間に伝承されているDNA

71で生涯を閉じられた後、中濱家とホイットフィールド家の交流は続き、今は6代目まで来ているそうな。

その間は日米開戦の前年にホイットフィールド家の来日があり、そこには開戦を阻止する狙いが込められるなど、その繋がりは民間を超えた次元に。

活動は両家に留まらず、毎年、日米で広く参加者を募られて行われているようで、今年は9月にサンディエゴで開催。

予定外の無人島来訪で繋がった縁が、1世紀以上に渡って日米両国の友好に脈打ち続ける事になった。

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足摺岬にあるジョン万次郎の銅像

歴史に名を残す人に、一角有り

当初の期待になかったものの、小沢代議士会いたさに来たのがキッカケにして、名前だけ知っていたジョン万次郎の生涯を知るに至り、一人の男の熱い生き様を学ばされました。

と、ここまでで長くなってしまったので、続きは後日。

 

小泉元首相参加の細川護熙個人演説会に行ってきた

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 小泉純一郎の熱気を再び

「時間的に行けちゃうなぁ」「小泉さんの話も面白そうだな」と、先々週の街頭演説に続いて、今回は雪が舞う中、細川護煕都知事候補の個人演説会に行ってきました。

会場のメルパルクホール、2階の開放はありませんでしたが、時間を追う毎に1階席は90%以上の席は埋まった感じ。

1~2列目が来賓席で、TVで見た事のある方のお顔もちらほら。

南相馬市長の心の叫び

まず、先日の有楽町で街頭演説に立たれた南相馬市長の応援演説の映像が流され・・

「オリッピックは良いが、建設作業員がオリンピックの方が儲かるからと建設会社の方針で、東京へ戻ってしまっている」との話しや「心が豊かになれば命を守れる」等、心の叫びとは、こういう事を言うのでしょう。

言葉で説明すると陳腐になってしまうので、8分程の尺である事もあり、リンク先をご覧になられる事を強くお勧めします。

いきなりクライマックスが訪れたかの迫力でした。

お返しを求めない愛情、慈悲を説かれた瀬戸内寂聴さん

続いて来賓で瀬戸内寂聴さんが、壇上に立たれ、志を抱くに事に年齢は関係ない、ライフワークに取り組む事の重要性など。

20分強の演説時間でしたが、椅子に座られる事無く、強い決意が伝わってきました。

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マスコミで語られていない細川護熙伝説

と、本来はここで細川護熙候補と小泉純一郎元首相の出番となるはずが、降雪の影響か遅れているとの事・・

急遽、細川佳代子夫人にマイクが渡り、マスコミに伝わる姿とは違う候補者の実像を。

世間一般では、お殿様で何不自由なく育ったイメージも、実際は・・

中学時代は退学処分を受けるなど、荒れた学生生活。

一旦、新聞社に就職するも、家系からか政治の世界への思いが強くなり、叔父、父に切り出すも、猛反対され、退職金を全財産として、東京から独り身で熊本へ。

地盤、看板もない状況下、最初の選挙は落選。この時から、絶えず借金のご苦労は堪えなかったそうで・・

次の選挙で参議院の全国で当選し、結婚するも披露宴は夫人は白のスーツ、細川護熙さんは背広で、神主さんに支払う1万円程度で簡素に済ませたそうな。

細川護熙さん、次の選挙は熊本選挙区から当選したいとの思いから連日、佳代子夫人は一日百軒を目処にした戸別訪問。

選挙が近付くにつれ、熊本県知事選挙も迫っていたそうな。当時の県知事が前任者の四選に異を唱えて当選したにもかかわらず

当時の知事が四選を目指して出馬する事に異を唱えて、佳代子夫人が知らぬ間に突然の知事選出馬表明。

ここから様々な前哨戦が繰り広げられたようで、県議連の会長だかが間に入る形で、細川護熙は県知事に、当時の知事は参議院になられる形で決着したそう。

そして県知事時代は着実に実績を積み重ねられたようですが、権力の座に長く留まっては、どんなにクリーンを心掛けても腐敗は免れないとして、10年の声を聞かず辞任。

一旦、ここで表舞台から身を引いたそうですが、中央から地方分権に関する委員会のメンバーに召集され、

県知事時代の体験(バス停を少しの距離移動させるだけでも約半年、中央と折衝を強いられた事など)を活かして、答申をまとめ上げたものの、国会で全て否決。

この事態を憂慮して、日本新党を立ち上げる事を表明・・

(ここで、細川さん、小泉さん登場)

話しは中断される形で終わりましたが、マスコミを介して耳にしていたお殿様像と全く異なる内容でした。

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ご夫人の上記お召し物、25年前に購入したセール品であるそうな・・

人生に覚悟、細川護熙候補者

・・で、ご本人がダウンジャケットを着たまま、壇上に上がられ、政治の世界に戻ってくる事は本心でなかったものの

国政の在り様に強い違和感を感じられ、順風満杯であった芸術家?(陶芸家、襖絵師として順風満杯な余生を送られていたそうな)生活から立ち上がれたとの事。

素顔は、人前に出る事が嫌いで、選挙カーを見るなどすると寒気を覚えるそうな。

和やかながら、国に対する愛情の裏返しが伝わる演説。

2週間前の街頭演説で伝わった大丈夫?といった頼りなさのようなものは払拭された様子で、感じが戻られたご様子。

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真打登場、小泉元首相

会場が半分以上埋まったのは、恐らく自分と同じく、小泉元首相の話し聞きたさであったと思いますが、

ご自身が首相在任中などに原発政策を推進したものの、東日本大震災を契機に、改めて原子力発電について勉強され直したとの事。

その中には具体的に、フィンランドへ財界の方々と最終処分場を見学するなど、視察に行かれ、ご自身なりの結論を出されたと。

フィンランドには原子力発電施設が四基あるそうですが、見学に訪れた場所は地下400mの2km四方の広さ。

漏水の問題等で、本格稼働には至っていないようですが、稼働しても2基分の廃棄物処理に止まるとの事で

残り2基の処分施設については、場所をはじめまったく目処が立っていないとの事。

日本では54基(だったかな)あるそうですが、事故が起きる前から最終処分場名乗り出る自治体がいない中、

到底、原発事故が起こった後で施設受け入れを表明する自治体の挙手は期待出来ないであろうとの指摘。

「脱原発を表明した上で、国全体で廃棄物処理の議論をするのならともかく、今までの経緯を踏まえると、とてもじゃないが再稼働を進める事は無責任だ」との事が、演説の骨子でした。

「日本の技術力の高さを持ってすれば、従来、原子力に頼ってきた部分を自然再生エネルギーで代替する事は十分可能であろう」との見通し。

過ちは改むるに憚ること勿れの思いで、今回、細川さんの決意に打たれて、応援を奮い立ち、実現可能な脱原発の社会創りは夢のある仕事だと力説されて、軽い熱狂に包まれ演説終了。

演説会に参加して

開演から約2時間半経過して閉会となりましたが、本来、選挙権を行使するにあたり、

全候補者又は主要候補者に対して、直に触れる機会が大事なんであろうと思いました。

投票に行って「裏切られた」と感じる事もしばし、ある種、諦めのような感覚も持っていて、「何となく(投票してしまう)」といった事になりがちですが、

投票日までにマスコミの報道に頼ることなく、可能な限り、自分から候補者に近付いて行く事の重要性は気付かされました。

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閉演後の場内

 

小泉劇場再び 「小泉純一郎さんの応援演説」を聞いて

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父子で感じてみたかった小泉演説

一昨日の記事で、小泉進二郎代議士の演説について触れましたが、本家?「お父さんは、どうなんだろう?」と、細川護煕候補の応援演説が行なわれる駅近くで予定を入れ、しばしその雰囲気を体感してきました。

ちょっと早めに所定場所のスクランブル交差点前のハチ公周辺に辿り着いた時には、物々しい警備の数にずらっと並んだマスコミのカメラ。

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仕方ないかと鞄の中に入れていた本に目を通しながら、時間潰しをしていましたが、予定時間が近付くにつれ、ワクワクしたような感じも。

候補者がかすんでしまうかの漠然とした期待感

告知の15:00を若干遅れてのスタート。まずは、候補者本人から。長年のブランクに選挙戦初日ということあってか、表現の誤りであったり、曖昧な物言い(ex.何と言いますか)等、迫力というより、親しみやすさといった。

集まった人の大半は、実は小泉純一郎さんであろうと、やりづらさもあったろうと思いますが、それも変な話しで、、。15分ほど立候補の経緯、主要政策等を語られて、小泉さんへ。

小泉純一郎さんの迫力度

マイクがリレーされた途端、集まった人それぞれが半歩から一歩前に出る感じでしたが、まず、候補者への投票のお願い~応援に至る経緯~脱原発以外は、誰がやっても大枠同じであろうとの指摘~対立する立場の方々との対比~脱原発社会は実現可能な夢である旨~東京から日本を動かしいこう

大雑把な流れは上記の通りと記憶。想像していた程の迫力でなかったのは、候補者と同じく選挙初日であった点や平日午後開催で、集まった人のエネルギーもこれからといった背景があったように思いますが

きっぱり主張を言い切る。対立する立場の人たちへは「オリンピック誘致の際は原発に依存しない形で、オリンピックを開催する」と公言していながら

開催が決まると立場を変え「原発に頼らないでオリンピックを開催するとは何とも無責任な」との論調に対して、「果たしてどっちが無責任なのか」と表現の仕方によっては笑い話になってしまうところ

舌鋒鋭い形で、一刀両断にしてしまう勢いは「小泉劇場」と評された痛快さがありました。

やはり人間は「夢」を語ってこそ

一番、胸に響いたのは、小泉さんが「政治家を引退して、本読んだり、歌舞伎を観に行ったり、音楽会へ観に行ったり、楽しい時間を過ごしていた」ものの3月11日の震災を目の当たりにして国の将来を憂い「夢のある仕事に取り組もう」と、

原発に関して立場を同じくする細川さんと意気投合して、脱原発が実現可能な夢であるとして、表舞台に再び挑む決意をしたとの件(くだり)。

敵対勢力を一刀両断する痛快さも然ることながら、自分の夢見る事を力を込めて語れる事は、人の生き様として憧れを感じ、小泉さんの人気の本質はその辺りじゃないかなと実感。

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演説終了後、てくてく街宣車に接近を試みるも立ち止まる事すら容易ならず、分厚い警備に阻まるる。総理経験者は違うな・・