前々回、中間記⬇︎ をアップロードした
石戸諭さん著『ルポ 百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』を読了。
引き込まれる 普通の人々
(中間記後)読み進めた第二部は
” 百田尚樹とは「ごく普通の感覚にアプローチする術を感覚的に知る人」であり、百田現象とは「ごく普通の人」の心情を熟知したベストセラー作家と、「反権威主義」的な右派言説が結び付き、「ごく普通の人」の間で人気を獲得したものだというのが、第一部の結論である。”(p111)
を受け、
“「私は、教科書に従軍慰安婦が載らなければ、従軍慰安婦の問題なんか論じることはなかった。”(p131)
と、藤岡信勝東京大学元教授の問題意識に端を発した教科書問題について取り組んだ「つくる会」が辿った軌跡を中心に論が展開されていきます。
自分的にしばし正念場が続きましたが、ページを重ねていく中で、本書を読み解いていくキーワードである「普通の人々」に言及された
” 熱心な運動家を動員するだけでは全く足りず、「良き観客」が参加して初めて初めて突き動かすことができる。
そのために運動は楽しくやる必要がある。なぜなら、楽しくないところに「常識」を持った「普通の人々」は集まらないのだから、正論である。”(p201)
或いは
” 彼(註:小林よしのり)にとって「観客」とは、一貫して「実は常識あるフツーの感覚の人々」である。
「読者」=普通の人々に対する絶対的な信頼と、自分こそがメッセージを彼らに届けられるというプロとしての自負もある。
小林は自分の武器を「常識」という言葉で表している。”(p214)
の前段を踏まえての
” 特に小林と百田は、「普通の人々」への絶対的な信頼をベースに「ポピュラリティ」を得た、第一級の「ポピュリスト」だ。”(p251)
といった箇所から、本全体的ではないものの理解の及ぶ範囲での学びを得られたように。
小林よしのりさんが耕した「右」の市場
興味深かったのは、小林よしのりさんが自身の代表作である『戦争論』を振り返り、
” 「『戦争論』以降、言論空間で何が変わったかといったら、左翼本が売れなくなった。
わしが新しい市場を作ってしまったということだよね。右方面に。
わしが、ブルドーザーでばあーっと地ならしして、はい、ここに市場ができましたっていう状態になった。”(p256)
と分析されているパート。
小林よしのりさんの著書にまったく手が伸びていなかったこれまで、むしろ本書で言う左側の人との先入観もありましたが、
百田尚樹さんが支持を集める源流に、このような経緯があったのかと学習。
さておき、日ごろ自分自身が大衆であるとの意識は持ち合わせいないながら、
時代の風を正面から受け、これも本書で語られている
” 百田の作品を貫くキーワードを一つ挙げるならば、それは加藤(註:加藤典洋)も指摘するように「感動」である。
・・中略・・
百田の物語を読み、感動できる人は世の中では多数派である。”(p288)
と、その渦の中の一人として(笑)嫌な気持ちでもないですが 、本書を手に取った時点で期待した「自分が如何にして百田尚樹さんに寄せられていったのか」を客観視出来た感覚に読み応えを覚えました。