小泉純一郎の熱気を再び
「時間的に行けちゃうなぁ」「小泉さんの話も面白そうだな」と、先々週の街頭演説に続いて、今回は雪が舞う中、細川護煕都知事候補の個人演説会に行ってきました。
会場のメルパルクホール、2階の開放はありませんでしたが、時間を追う毎に1階席は90%以上の席は埋まった感じ。
1~2列目が来賓席で、TVで見た事のある方のお顔もちらほら。
南相馬市長の心の叫び
まず、先日の有楽町で街頭演説に立たれた南相馬市長の応援演説の映像が流され・・
「オリッピックは良いが、建設作業員がオリンピックの方が儲かるからと建設会社の方針で、東京へ戻ってしまっている」との話しや「心が豊かになれば命を守れる」等、心の叫びとは、こういう事を言うのでしょう。
言葉で説明すると陳腐になってしまうので、8分程の尺である事もあり、リンク先をご覧になられる事を強くお勧めします。
いきなりクライマックスが訪れたかの迫力でした。
お返しを求めない愛情、慈悲を説かれた瀬戸内寂聴さん
続いて来賓で瀬戸内寂聴さんが、壇上に立たれ、志を抱くに事に年齢は関係ない、ライフワークに取り組む事の重要性など。
20分強の演説時間でしたが、椅子に座られる事無く、強い決意が伝わってきました。
マスコミで語られていない細川護熙伝説
と、本来はここで細川護熙候補と小泉純一郎元首相の出番となるはずが、降雪の影響か遅れているとの事・・
急遽、細川佳代子夫人にマイクが渡り、マスコミに伝わる姿とは違う候補者の実像を。
世間一般では、お殿様で何不自由なく育ったイメージも、実際は・・
中学時代は退学処分を受けるなど、荒れた学生生活。
一旦、新聞社に就職するも、家系からか政治の世界への思いが強くなり、叔父、父に切り出すも、猛反対され、退職金を全財産として、東京から独り身で熊本へ。
地盤、看板もない状況下、最初の選挙は落選。この時から、絶えず借金のご苦労は堪えなかったそうで・・
次の選挙で参議院の全国で当選し、結婚するも披露宴は夫人は白のスーツ、細川護熙さんは背広で、神主さんに支払う1万円程度で簡素に済ませたそうな。
細川護熙さん、次の選挙は熊本選挙区から当選したいとの思いから連日、佳代子夫人は一日百軒を目処にした戸別訪問。
選挙が近付くにつれ、熊本県知事選挙も迫っていたそうな。当時の県知事が前任者の四選に異を唱えて当選したにもかかわらず
当時の知事が四選を目指して出馬する事に異を唱えて、佳代子夫人が知らぬ間に突然の知事選出馬表明。
ここから様々な前哨戦が繰り広げられたようで、県議連の会長だかが間に入る形で、細川護熙は県知事に、当時の知事は参議院になられる形で決着したそう。
そして県知事時代は着実に実績を積み重ねられたようですが、権力の座に長く留まっては、どんなにクリーンを心掛けても腐敗は免れないとして、10年の声を聞かず辞任。
一旦、ここで表舞台から身を引いたそうですが、中央から地方分権に関する委員会のメンバーに召集され、
県知事時代の体験(バス停を少しの距離移動させるだけでも約半年、中央と折衝を強いられた事など)を活かして、答申をまとめ上げたものの、国会で全て否決。
この事態を憂慮して、日本新党を立ち上げる事を表明・・
(ここで、細川さん、小泉さん登場)
話しは中断される形で終わりましたが、マスコミを介して耳にしていたお殿様像と全く異なる内容でした。
ご夫人の上記お召し物、25年前に購入したセール品であるそうな・・
人生に覚悟、細川護熙候補者
・・で、ご本人がダウンジャケットを着たまま、壇上に上がられ、政治の世界に戻ってくる事は本心でなかったものの
国政の在り様に強い違和感を感じられ、順風満杯であった芸術家?(陶芸家、襖絵師として順風満杯な余生を送られていたそうな)生活から立ち上がれたとの事。
素顔は、人前に出る事が嫌いで、選挙カーを見るなどすると寒気を覚えるそうな。
和やかながら、国に対する愛情の裏返しが伝わる演説。
2週間前の街頭演説で伝わった大丈夫?といった頼りなさのようなものは払拭された様子で、感じが戻られたご様子。
真打登場、小泉元首相
会場が半分以上埋まったのは、恐らく自分と同じく、小泉元首相の話し聞きたさであったと思いますが、
ご自身が首相在任中などに原発政策を推進したものの、東日本大震災を契機に、改めて原子力発電について勉強され直したとの事。
その中には具体的に、フィンランドへ財界の方々と最終処分場を見学するなど、視察に行かれ、ご自身なりの結論を出されたと。
フィンランドには原子力発電施設が四基あるそうですが、見学に訪れた場所は地下400mの2km四方の広さ。
漏水の問題等で、本格稼働には至っていないようですが、稼働しても2基分の廃棄物処理に止まるとの事で
残り2基の処分施設については、場所をはじめまったく目処が立っていないとの事。
日本では54基(だったかな)あるそうですが、事故が起きる前から最終処分場名乗り出る自治体がいない中、
到底、原発事故が起こった後で施設受け入れを表明する自治体の挙手は期待出来ないであろうとの指摘。
「脱原発を表明した上で、国全体で廃棄物処理の議論をするのならともかく、今までの経緯を踏まえると、とてもじゃないが再稼働を進める事は無責任だ」との事が、演説の骨子でした。
「日本の技術力の高さを持ってすれば、従来、原子力に頼ってきた部分を自然再生エネルギーで代替する事は十分可能であろう」との見通し。
過ちは改むるに憚ること勿れの思いで、今回、細川さんの決意に打たれて、応援を奮い立ち、実現可能な脱原発の社会創りは夢のある仕事だと力説されて、軽い熱狂に包まれ演説終了。
演説会に参加して
開演から約2時間半経過して閉会となりましたが、本来、選挙権を行使するにあたり、
全候補者又は主要候補者に対して、直に触れる機会が大事なんであろうと思いました。
投票に行って「裏切られた」と感じる事もしばし、ある種、諦めのような感覚も持っていて、「何となく(投票してしまう)」といった事になりがちですが、
投票日までにマスコミの報道に頼ることなく、可能な限り、自分から候補者に近付いて行く事の重要性は気付かされました。