下記の記事は、Facebookページ「オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所」9月7日付の記事を転記したものです。
オーストラリア人の国民性、価値観、社会通念 ⑤:判官びいき
(前回のつづき)” そのような状況下、スコットランド人の鉱夫が殺される事件が起きた。容疑者は逮捕されたが、裁判の結果、その容疑者は無罪放免された。
この事件をきっかけに鉱夫たちの不満が爆発し、強力な抗議集会が何度となく開かれ、日ごろの不公平、弾圧に対する政治的な要求へと発展した。
ドイツやアイルランドから移住してきた急進的な鉱夫たちの指導の下、この年11月に結成された『バララット改革同盟』は、採掘許可料の廃止や、議会への代表権、成年男子の普通選挙権などの要求を掲げた。
鉱夫たちはユーレカ砦に集結し、国家権力に対して武力をも辞さない、反旗を掲げることになった。そこには青字に十字と南十字星が描かれた共和国旗が掲げられ、その前で自らの権利と自由を守ることを誓った。
植民地当局は、武力で鎮圧するために、警察と軍の合同隊を送り込み、砦を包囲し攻撃を開始した。双方が発砲を繰り返し、砦は戦場と化した。戦いは、装備に優れた軍によって即時に終結した。
鉱夫たちの多くが死亡、残りは逮捕されメルボルンに護送された。この報を聞いた住民たちは、反旗を掲げ、道行く人びとは黒いリボンを見に着け、鉱夫たちに哀悼を示し、植民地政府に対する怒りをあらわにした。
逮捕された鉱夫たちは、翌年1855年2月に裁判にかけられ、反逆罪で死罪が問われた。ところが、多くのメルボルン市民が、ユーレカで取った植民地政府の行動、腐敗した行政、無謀な権力に対して大規模なデモを行った。そして、鉱夫たちの無罪を主張した。
裁判の結果に関して、陪審員がすべて無罪の表決を出したので、鉱夫たちは釈放された。その後も市民の政府に対する抗議は継続し、鉱夫や市民の声を聞き入れざるをえないほど深刻なものになった。
その結果、採掘現場での採掘許可料が事実上廃止された。また、本国イギリスに先駆け、成人男子の普通選挙権を勝ち取るなど、鉱夫たちの主張が全面的に認められた。
戦いには敗れたが、鉱夫たちは政治的に勝利を勝ち取った。この事件の影響を受け、2年後にはメルボルンで働く建設労働者が、世界に先駆け8時間労働制を獲得している。
ユーレカ砦の事件は、オーストラリアの歴史上初めて、武力によって不公正な法律、非民主的な国家権力に対抗した決起で、後々の民主主義、自由、独立への基礎になったと評価する人が多い。
その時に掲げられた南十字星をかたどった旗をオーストラリアの新しい国旗にすべきだという人が多くいる。
この事件は、今日オーストラリア人が権力に対し反骨精神を持っていることに大きな影響を与え、国民性のひとつである判官びいきが人びとの間に根付くきっかけになったことは確かである。 “(『豪州読本』6%)
長くなりましたが・・ 日本人の場合、年末になると「忠臣蔵」を見たくなるといわれるように、その国で語り継がれる歴史、国民性を反映した史実が、それぞれ在るのだと思います。
オーストラリアの場合、オーストラリア人に対する理解を深める場合、この「ユーレカ砦の反乱(Eureka Stockade)」について知っておく事が大きな手助けになる、のかもしれません。