下記の記事は、Facebookページ「オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所」11月7日付の記事を転記したものです。
オーストラリア人の判断基準 ②
前回のつづき ” 2014年の1年間、番組内で毎日同じスーツを着続け「誰も俺のファッションなんか見てやしねえのさ」と言い放っていました。
さて、オージーは、カール(Karl Stefanovic)のような人物に対しても「バカだな」「ひどいな」という捉え方をしていません。それは「賢いかどうか」という軸が無いから。
社会人に対しては「スペシャリストかどうか」という軸で判断しますので、カールの場合、「番組を盛り上げる司会者としてスペシャリストかどうか」という軸で捉えています。
そのため、番組内で彼が愚かな行為をしたとしても、司会者としてスペシャルな存在でありさえすれば、行為自体は悪くとも、彼という人間そのものまで悪い、というような見方をすることはありません。
ですので、もしもあなたが失敗して窮地に陥るようなことがあっても、それで引き下がるのではなく、オージーのようにそれはそれとして、「あっけらかん」としてみてはいかがでしょうか。
周りの人は、自分が思っているほどにはあなたのことを気にしていないもの。ですので本人がどんどん進み出ていくことで、環境は意外に早く変わっていくかもしれませんよ。”(『「おバカ大国」オーストラリア だけど幸福度世界1位! 日本20位!』No.1889、1899)
日本の場合、不祥事(ex. 隠蔽、事故、失言)があると、とかく進退問題に発展しがちとの印象を抱いていますが、 オーストラリアの場合、前提となる信任なのか、人は誰でも過ちを犯すということについての理解、寛容性(やらせてみないと分からない)というのか、(一文を読んだ限り)生きやすさということでは後者に学べることがあるように思いました。