移住の理想と現実 ⑩
” 四十歳代の女性は、これらの公共の場におけるアジア人差別が九○年代中頃に急速に表面化した点を次のように指摘する。
ボーリン・ハンソンが出てきた頃に、差別がひどかったです。全然知らない人にいきなり「Go Home!」って言われたり。失礼ですよね。
あの人が出てきたのは九六年だったんですよね。あの人が出てきて、そういう態度が表面化した気がします。
ずっと心の中に思っている人はボーリン・ハンソンが出てくるまでは態度に出す人は少なかったと思うんです。
一九九〇年代は、オーストラリアの「アジア化」が進行した時代であった(Ang and Stratton 1996)。
第一章で述べたとおり、多文化主義をオーストラリアの労働市場の穴を埋める戦略として位置付けたオーストラリアにとって、
一九九〇年代はアジア系住民の急増を経験することとなり、それを危惧した保守系の政党の代表格がクイーンズランド州を地元とするボーリン・ハンソン率いるワン・ネーション党であった。
彼女は、アジア系移民の流入が白人系住民の仕事を奪うとの議論を行ったものの、実際の支持は限定的なものであった。
しかし、彼女がメディアで繰り返し述べる反アジア系移民の論調は、地元住民の態度を表面化させる契機となり、
結果的に多くのアジア系移民が差別的言動を経験することとなった。”(『日本社会を「逃れる」オーストラリアへのライフスタイル移住』p191-192)
資源バブルを後押しした中国をはじめとするアジア系の影響力なくして、現在のオーストラリアの姿はなかったことになりますが
流れが急であれば、受け手の心の準備が追いつかなかったり、未来を描くに影を落としたり、
様々な心理的動きが作用して、オピニンオンリーダーの登場に乗じて、極端な動きによって示されることは、しばし報じられる現象です。
かつてのロシアのウラジミール・ジリノフスキーや現在だとアメリカ大統領選で指名争いで注目を集めているドナルド・トランプが該当するでしょうか。
トランプ候補の動向は今後を注視する必要がありますが、何れも時期的な盛り上がりで、
タイミング悪く、そういった状況に遭遇してしまった場合は、しばし身を屈めておく必要があるようです・・。