オーストラリアの著名人 ⑲ 〜 カイリー・アービング
“「目標:NBAでプレイすること」。
日本の小学校4年生にあたる4thグレイドのときに、カイリー・アービングは紙にそう書きつけた。
以降、そのメモは常にアービングの手元にあった。ガリガリに痩せ、身長も5フィート8インチ(約172cm)に過ぎなかった高校1年生時をはじめ、
当初は頻繁に実力を疑われてきた。アービングはそのたびに紙を引っ張り出し、眺め、誓いを新たにしていたのだという。
カイリー・アンドリュー・アービングは、1992年3月23日、オーストラリアのビクトリア州メルボルンで生まれた。
父ドレデリックはボストン大学でバスケットボールをプレイし、1988年にNCAAトーナメントに出場。
その後にボストン・セルティックスの入団テストを受けるが、NBA入りの夢は叶わなかった。
ドレデリックがオーストラリアでプロ選手としてプレイしていた間に、カイリー・アービングは誕生したのだった。
「(カイリーと1歳上の姉が)1~2歳の頃からベビーカーに乗せてベンチで待たせていた。より年齢を重ねても、私の出場するゲームに連れていった。
行儀の良い子供たちだった。ベンチの端でゲームを見ていた。何かが必要なときはタイムアウトをコールしたけど、そんなことはめったになかった」。
ドレデリックは当時をそう振り返る。そんな環境で育ったアービングが、バスケットボールに興味を持つのは必然だった。
家族はアービングが2歳のときにアメリカに戻り、ニュージャージー州ウェストオレンジに移住。
以降、アービング親子は生き馬の目を抜くようなニューヨークエリアのバスケットボールシーンで生き続けることになる。
「僕はとてつもなく負けず嫌いな人間だと思う。コート上では相手を破壊したいと考えてプレイしているからね。そんな気質は父親から受け継がれたのだろう」。
そんな言葉を聞くまでもなく、アービングの人生において、父親の影響が大きかったことは容易に想像できる。特に、4歳のときに母親が急逝し、父子家庭で育ったことを考えればなおさらだ。”(出典:NBA JAPAN)
2歳の頃にはオーストラリアに渡ってしまったため、オーストラリアにどれほど思い入れがあるか、
その辺りの心情に触れた記事に出会えていませんが、渡米後、お父様が果たせなかった夢を見事に実現していくプロセスは・・
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