下記の記事は、Facebookページ「オーストラリア ライフスタイル&ビジネス研究所」12月3日付の記事を転記したものです。
オーストラリアの著名人⑪: ピーター・コスグローブ総督
” 陸軍准士官の子として ニューサウスウェールズ州 シドニーに生まれる。
1968年に王立ダントルーン陸軍士官学校を卒業し、ベトナム戦争に参加する。1971年には功績顕著によりミリタリー・クロスを授与される。
その後、ロイヤルオーストラリア連隊第1大隊長、第6旅団長、ダントルーン士官学校校長、第1師団長を歴任する。1999年、東ティモール紛争収拾のため、国連安保理決議1264に基づきオーストラリアを中心として東ティモール国際軍 が結成される。
陸軍少将のコスグローブは司令官として 東ティモール国際軍 を率い、東ティモールの治安回復、民兵の武装解除にあたった。コスグローブは単に治安維持にあたるのみならず、自らスポークスマンとなってメディアへ柔軟に対応し、東ティモール平和維持活動への国民の関心・支持を大いに高めた。
INTERFETは大きな犠牲を出すことなく任務を遂行し、コスグローブは一躍国民的英雄となった。2000年、陸軍中将に昇進し、陸軍参謀長に就任する。次いで2002年には、陸軍大将・オーストラリア国防軍司令官に就任する。2005年に退役する。
退役後、カンタス航空の社外取締役、オーストラリア・ウォー・メモリアル( Australian War Memorial)の理事長を務めた。2006年3月、 クイーンズランド州政府は、サイクロンラリーにより甚大な被害を受けた州の復旧復興活動タスクフォースの長にコスグローブを任命する。
コスグローブは期待通りリーダーシップを発揮し、復興活動を推進した。2014年1月、 トニー・アボット首相は、 クエンティン・ブライス総督の後任にコスグローブを指名し、 エリザベス2世はコスグローブを次期総督に任命した。
総督交代直前の3月25日、アボットはオーストラリア勲章のナイトを復活し、総督は就任と同時にオーストラリア勲章のナイトまたはデイムに叙せられ、現総督ブライス閣下はデイムの称号を、次期総督コスグローブ将軍は就任と同時にサーの称号を与えられる」と発表した。
3日後の3月28日、コスグローブは総督に正式に就任し、サー・ピーター・コスグローブと名乗ることになった。”(goo wikipedia記事検索 )
前回は政治のトップ( マルコム・ターンブル首相)でしたが、総督は国の元首に当たる職位で、 エリザベス女王の代理となります。実質は名誉職であるとのこと。
オーストラリア滞在時、「政治家である時点で人気がない」との見解や何となくそう言った雰囲気を感じましたが・・
総督のご経歴を見る限り、かなり(職位に沿う)実体が伴ったとの印象を受け、今度、オーストラリア人にヒアリング(総督制度について、人物について)してみようと思います。