くりぃむしちゅー上田晋也さんが自身の40代のことを綴った前著↓
『経験 この10年くらいのこと』に続いて、
” そんなこんなで30代の頃の話。”(前書)
ということで上梓された『激変 めまぐるしく動いた30代のこと』を読了。
ジェットコースター的日常
「あれ、この前の そんな面白かったっけかな?」と(読んだのが)4ヶ月前のことで記憶があやふやになっていたところ
サイン本きっかけで入手していた本書は、
中国を仕事で訪れた際、懇意にしている飲み屋のお姉さんが北京入りしていることを知り、流れから女史の訪問を受け
” 何かお土産でも買っておいでよ。それにかかったお金、あとで渡すからさ」”(p44)
と仕事の関係で軽く時間潰しを促したところ
” 「うん、これ買っちゃった」
その子の首を見ると、ネックレスが輝いている。
「へー、そうなんだ? お金出すよ」
「えー、ホントにいいのかなー?」
「いいよ、いいよ、いくら?」
「えー、ホント? 3万」
まあ私が買い物でも行ってきなよ、と提案したとはいえ、ちょろっとお土産買いに行って3万も使うかね、とは思ったし、私が言った「お土産でも買っておいでよ」は、お菓子とかこの土地の名物とか、そういう意味だったんだけどなー、・・中略・・
財布から3万円を取り出し彼女に渡した。するとその子は、カニ専門店でカニタマ出されたような、呆気に取られたような顔をし、「あのー、3万 “元” なんだけど・・・」と、瞬間的に理解出来ない言葉を発した。・・中略・・
瞬時には計算できず、パニくりながら、しかし必死にそれを悟られまいとして円に換算した。その当時1元=約15円、3万元=約45万円!!!”(p45-46)
に ^0^;A
“「海砂利水魚」というコンビ名をずっと変えたい、と思っていたから。詳細はまた別の機会に譲るとするが、「海砂利水魚」というコンビ名は、芸能界に入ったばかりの頃の事務所の先輩「コント山口君と竹田君」の山口さんに半ば無理矢理付けられた名前で、何年にもわたって、何度も改名を直訴していた。
デビュー当時なかなか人に覚えてもらえず、表記の間違いなども毎度のことだったし、漢字5文字で古臭い雰囲気がするし、「海砂利水魚」以外ならなんでもいい、とすら思っていたくらいだ。
「ぷ」一文字でもいいと思っていた。だから私は、意外と清々しい気持ちでいたのだが、凹んでいる有田の手前、喜びの表情を見せるのも憚られるため、竹内力さんばりに眉根を寄せ、これは困ったぞ、の顔だけ作っていた。”(p66)
という
上田晋也さんが番組で詠んだ
>「もう二度と 来なくていいぞ バカルディ」
という句に端を発した改名劇に、想像を頭上越えていく頬を緩められるエピソード満載 ^^
上田晋也さんが創られる日常
何もお笑い芸人の方々の日常だけに面白いことが起こっている訳ではないと承知しつつも、
上田晋也さんご自身は
” 毎日楽しく、充実しているからこそ1日、1ヵ月、1年が早く過ぎている、と考えるようにしている。
そういう意味では30代の10年間は、いろんなことが変化して、あっという間に過ぎていった。”(p269)
と「後書」で30代を総括されており、
上田晋也さんの感性、筆致から「これは真似出来ないぞー」の思いに、(誇張は含まれているにせよ)ちょっとその充実ぶりに羨ましさすら感じさせられた回顧録でありました〜