先月仕事で訪れた、とあるショッピングセンター内で遭遇した光景.-
「クルマ(車)にらくがき(落書き)って、凄い発想だなぁ」なんて感心していましたが、
私自身で似たような経験を思い出し・・
幼少の頃、張り替えか、引越しのタイミングで家に張ってあった障子を「好きに破いて良い」と親から言われ
普段、禁止されていることから解放された感じが強烈に印象に残っており、数十年経っても未だに覚えているという。
「壊してみる」の遊び心
既成概念を壊す試みというのか、今年(2016年)読んだ本や記事等で「壊す」という文言をしばしば見掛けた覚えありますが、
例えば、ここ最近立て続けの青山繁晴さんの著書(『ぼくらの哲学』)からでは
” いま世界は、壊れつつあります。アメリカの大統領選挙がその先駆けです。破壊は希望です。
先の大戦後の世界は七十年あまりしか持ちませんでした。人のために生きる、その大和心、やまとごころが世界の助けになる秋(とき)が来ています。”(p41)
との指摘、時代を捉える視座が印象に残っています。
「壊す」が求められている時代背景に、自動車に落書きという遊び心にアイディアに触れ、
ちょっと何かを壊してみる試み「(自分でも)何か出来ないかなぁ・・」とか、
時の流れが緩やかになる年末年始に、何かひねり出してみたく思いました。
反面教師?としての落書き
本筋から外れますが、車の落書きで思い出したことが、もう一つ ↓
6〜7月に読んだ脳科学者 中野信子さんの著書(『科学がつきとめた「運のいい人」』↓)の中での「運」に関する考察で・・
” その人の運のよしあしは、周囲の人といかに良好な人間関係を築けるかということに大きく左右されますが、
自分を大切にしている人はほかの人からも大切にされるのです。
逆に、自分を粗末に扱っている人は、他人からも粗末に扱われるようになってしまうのです。
たとえば、あなたの目の前に2台の車があるとしましょう。1台はピカピカに磨かれた車で、もう1台は汚れていて車体に叩かれた跡がある状態です。
もしあなたが、「この2台の車のうち、どちらかを棒で思いきり叩いてください」と言われたら、あなたはどちらの車を叩くでしょうか。
おそらく多くの人が、汚れている車を選ぶと思います。
これは心理学の「割れ窓理論」(軽微な犯罪がやがて凶悪な犯罪を生み出すという理論)でもいわれていることですが、人にはある特定の秩序の乱れがあると、それに同調してしまうところがあります。
・・中略・・
自分を大切にしている人を粗末に扱うのは抵抗があります。
しかし自分で自分を粗末に扱っている人には、こちらも同じように粗末に扱ってもいいような気がしてくる。
身なりのきちんとした人には思わず敬語を使いたくなりますが、身なりにあまりに無頓着な人にはその気はなかなか起こりません。
つまり、ほかの人から大切に扱われるようにするには、そして、周囲の人と良好な人間関係を築くためには、まずは自分で自分を大切にする必要があるのです。”(17-18%/百分率は電子書籍のページ数)
このことも、来る2017年を豊かな年とすべく、今一度、肝に銘じておきたい心得えです ^^