讀賣ジャイアンツ及び埼玉西武ライオンズで活躍、ファンに愛された内海哲也さんの『プライド 史上4人目、連続最多勝左腕のマウンド人生』を読了。
サイン本販売機会に
反応して入手していた著書。
本書は
” プロ野球選手としてすごした19年間の現役生活が終わり、ファーム投手コーチとして第2の野球人生が始まりました。野球人としての節目を迎えた今、若手選手たちに何を伝えられるかを整理し直す意味を含めて、これまでのキャリアを振り返ってみたいと思います。”(p13)
という人生の切り替わりの時期に差し掛かった内海哲也さんが、(2023年)7月に上梓された半生記。
書かれてあることは、
” 「俺、高校をやめて働くわ」
母親にそう伝えました。父親が借金を残していなくなった一方、ふたりの弟の学費が必要になります。母親ひとりでは大変だろうなと、高校生ながらに想像できました。”(p39)
と運命の歯車次第ではプロ入りに至っていなかったかもしれない家庭事情を経ての讀賣ジャイアンツ入団に、
” このボールはもしかしたら、人生を変えるものになるかもしれない ー 。不器用な僕はそれまでストレートとカーブしか持ち球がなく、いずれも思うように投げられずにプロの壁に直面していました。”(p51)
高橋一三二軍監督や
” 自信がないだって? そんなことは当たり前だろう。なんの実績もないヤツが、自信なんて持てるわけがない。お前は自分を信頼する必要なんてない。200勝投手の俺を信頼すればいい。お前にはすごい資質がある。俺が言うんだから間違いないよ」
堀内監督の熱い言葉を聞いていると、涙があふれてきました。”(p53)
堀内恒夫(一軍)監督(肩書きは何れも当時)ら恩師、指導者からプロ入り後、試行錯誤が続く中で背中を押されたひと言に、
本書で再三登場した自己評価ですが
” 速い球を投げられるとか、確実に打ち取れるようなウィニングショットを持っているピッチャーではありませんでした。投げる能力的には、プロでは至って普通の投手です。”(p67)
という立ち位置から
” 左腕投手が2年続けて最多勝を獲得したのは金田正一さん、鈴木啓示さん、山本昌さんに次ぐ史上4人目でジャイアンツでは初、右腕投手も合わせると球団では斎藤雅樹さん以来のことで、すごくうれしかったです。”(p96)
などの記録に、首脳陣、チームからエースとして頼りにされ、何より真摯に取り組む姿勢がチームメイト及びファンから愛された歩みが伝わる内容になっています。
(本書)読了直後のタイミングで
讀賣ジャイアンツに請われ、埼玉西武ライオンズを退団し再び古巣のユニフォームに袖を通す節目に差し掛かった模様。敵軍ながら古巣で指導者としての如何に手腕を発揮されるのか注目するきっかけの書になりました。