NPBで中日ドラゴンズ及び阪神タイガース、MLBではChicago Cubs:シカゴ・カブスなどで活躍された福留孝介さんの『もっと、もっとうまくなりたい はじまりはアイスクリーム』を読了。
本書は、冒頭「はじめに」で
” プロとしての1万打席を超すキャリアを大河とし、あの引退セレモニーを河口だとするならば、必ずそこには源流がある。福留孝介にとっての最初の1滴は、小さな街の校庭だった。そんな物語をお伝えすることで、どこかの誰かの励みや活力になれば幸いである。”(p.06-07)
との読者への一文を含み、
第1章 初めての決断 少年編
第2章 後悔なき選択 PL学園高編
第3章 磨き、高める 日本生命編
第4章 一期一会 中日ドラゴンズ編 1
第5章 見て、感じて、学ぶ MLB編
第6章 伝統と情熱と 阪神タイガース編
第7章 日の丸の重責 日本代表編
第8章 趣味と交友録 番外編
第9章 運命と宿命と 中日ドラゴンズ編 2
第10章 未来に思う 野球界への提言
との章立てに沿って進行する福留孝介さんの半生記。
本編では
” 最初に興味をもったのは、父親たち世代が地域や町内会単位でチームをつくり、試合をする草ソフトボールだった。そこについて行き、球拾いもやったし、メンバーが足りなければ大人にも揉まれプレーした。何よりの楽しみは終わったあとにご褒美で買ってもらえるアイスクリームだった。”(p24-25)
というタイトルにもなった野球に没頭していく原体験から
” 西武第2球場での試合後、後ろから「何や、そのバッティングは!」と声をかけられた。振り向くと佐々木恭介さんが立っていた。当時は西武のコーチを務めていたが、退団が決まっていた。荷物整理のために訪れた球場で、僕を見つけたのだ。
中日のヘッドコーチとして招かれることは知っていた。まさに因縁。あの「ヨッシャー」のドラフトから、丸6年が経とうとしていた。”(p113)
とプロ入り前のすれ違いからプロ入り後の壁にぶち当たった状況で再び運命が交差、
” 「黙ってオレの言うことを2年間聞け。必ず年俸2億の選手にしてみせるから」”(p114)
のひと言から一流選手へ飛躍すべく取り組んだ二人三脚の出発点に、
“ちなみに僕が人生でただ一度、胃カメラを飲んだのは第1回大会から帰国してしばらくしてからのことだ。本当に光栄なことだし、貴重な経験も積めた。しかし、それと同じくらいの苦しさ、厳しさも味わった。栄光と落胆。喝采と非難は常に光と闇、表と裏だということなのだろう。”(p174)
というWBCで背負った日の丸(侍ジャパン)の重みに、これまでの福留孝介さんの野球史中心に重要事が本人の言葉で振り返られています。
上原浩治さんが(本書と同じような)半生記を出版された際、
>「俺の野球人生、こんな(薄さ)ではない(笑)」
と仰られていたことを思い出し、本書(約230頁)についても概括的である点は否めない(致し方ない)ですが、(2023年)2月に参加したトークショー&ツーショット撮影会 ↓
で知るに至った内容と重なる部分あれば、新たな面もあり、それらを興味深く読み進められました。
本来、先週末にアップロードする予定でしたが、福留孝介さんの出身球団で
” 伝統ある老舗球団で、生え抜き以外の選手がキャプテンを務めたのは初めてとのことだった。”(p163)
という足跡も残した阪神タイガース38年ぶりの日本一の日と被り、3日遅れとなりました〜