格闘家 船木誠勝選手の33周年記念大会 記者会見&懇親会に参加。
ひょんなきっかけからYoutubeで視聴した動画から、
セメント最強のレスラーは誰なのか…を発表します
その後、「あなたへのおすすめ」でMasakatsu Funakiチャンネルからの新作なり旧作が上がってくると、思わず見入ってしまい、
そんな経過から今回願ってもない機会と、ご本人を目の当たりに出来ることを楽しみに迎えた当日。
悔いなき人生のための
当初は30周年のタイミングを想定されていたものの、WRESTLE-1退団等があり、この機会が選ばれたと。
船木誠勝選手ご自身はかつて演じた真説タイガーマスクでの出場と
33分3本勝負などでカードが組まれており、詳細は決まり次第、明らかとなっていくとのことです。
印象的であったのは、一日限定で復活するグレートカブキさんに、藤原喜明さんに、かつて事情があり袂を別つなどしたレスラーと、この1、2年で和解し、
今、接点のある人たちが関わってくれることになったという経緯に、船木誠勝さんのライフストーリー的に大きな意義のある大会であることが伝わってきました。
キャリアの分岐点 ヒクソン・グレイシー戦
記者会見の本筋から外れるものの、姿勢を前のめりにさせられたのは、2000年5月のヒクソン・グレイシー戦に関するもので
対戦前は一応タオルを用意していたもののセコンドに渡すと負けを考えていることになると自重、タップ(=ギブアップ)をする気はなかったし、当時の覚悟のほどを実感。
また、対戦中はRickson Gracie:ヒクソン・グレイシー選手の骨折等には気づいていなかったものの
「このまま行ったら勝てるかも?」という心の動きに落とし穴があったように述懐されていました。
因みに、高田延彦選手がヒクソン・グレイシー選手に連敗した時点で、(前田日明選手ではなく)話しが自分に来るとの確信があったそうで、
スポンサードしたSammyの「幾らでも出す」といった姿勢からとんとん拍子で対戦が決まり、
「(この試合で勝ったら)UFCに行こう(行く権利を得る)」と決めていたそうです。
覚悟と自身と向き合う強さと
会見は30分ほどであったと思いますが、その後、休憩を挟んで、ビールなどのアルコールを片手に懇親会。
ヒクソン・グレイシー戦などのお話しは既述の内容も含まれますが、15歳でプロレスラーになる決心には
13歳でお父さまと死別され、早く仕事(=夢中になっていたプロレス)に就きたかったと。
船木誠勝さんのキャリアはところどころといった感じで、自伝を読むなどして網羅的にカバー出来ていませんが、
要所要所で覚悟をもって人生の局面に対峙されており、今でも「人生って何なんだろう?」と思いながら生きているそうで、
Youtubeで見せるオープンマインドな面とは裏腹、自己(の内側)と向き合う強さの断片に触れたような機会でした。