活躍の舞台を日本国内から海外のリングへ移す女子プロレスラージュリア選手の半生記『My Dream ジュリア 自叙伝』を読了。
(2024年)8月下旬に開催された刊行記念イベントの
対象書籍として入手していた著書。
本書は、
” 私がこの本を書こうと思ったのは、自分の歩んできた少し不思議な人生を皆さんに知っていただきたかったのと、一つの夢を叶えたいという気持ちからでした。
私の夢は、本書の最後のほうにも書きましたが、女子プロレスが、もっと夢を持って飛び込める世界になることです。”(p226)
との思いが込められ上梓に至ったもの。
内容は、
“「こんなレベルでデビューさせちゃうんだ! って思いました」”(p96)
とデビュー戦後にタッグを組んだ大先輩井上貴子選手にこぼされ、
” クリスマスの時季に、友だちが差し入れを持ってボロアパートに遊びに来てくれて、パーティーをやっていたら突然電気が切れた。停電かと思ったら違った。電気代の支払い督促をずっと放置していたせいだった。”(p99)
と、散々なスタートとなったリングでのキャリアに現実。
“「予習してほしいんだ! 好きな選手や好きな技があったほうが、観戦してて楽しいから!」
今度は、新日本プロレスや中邑真輔 vs 飯伏幸太や、石井智宏 vs 田中将斗、石井智宏 vs 内藤哲也のDVDを持って来て、私に押し付けてくる。
はぁ〜!? 私、専門学校とキャバクラで睡眠時間2時間とかだよ? 鬼なの? なんなのこの人、同じ生き物とは思えない!
そんなふうに思いつつも、私は空いた時間にこの3試合のDVDの再生スイッチを入れてしまった。私をプロレス色に染めた3試合。これがなかった、私の人生はぜんぜん違うものになっていたのかもしれない。頸椎ヘルニアになんてなってないだろうし、お尻の骨にもトゲなんて生えてなかったし、何より女子プロレスにジュリアは存在しなかった。”(p12)
その前・・
“「プロレス興行に付き合ってくれたら同伴してあげるよ」”(p9)
とのお客さんからの誘いで訪れたプロレス初観戦が自身の逆鱗に触れたものの、再度の申し出がよもやの人生の転機となり、
” 「女子プロレス大賞に選ばれたので、これから撮影に行けますか? ドレス持ってますか?」
「え、持ってません!」”(p171)
国内最高峰の女子プロレスラーに輝いたのと同時に、
” アメリカのファンも、選手も、意外なほどに私の存在を知ってくれていたのだ。自分よりも明らかに知名度の高い選手から、「あなた、大好き!」と握手を求められたりする。海外の有名なエージェントがジュリアと話したがっているよ、なんてことを言ってくる人もいた。”(p211-212)
と評価が北米に波及し、上述のとおり活躍の場を海外に移すまでの半生及び経緯について生々しく感情に触れながら言及されています。
貫かれる思い
女子プロレス界をフォローしていなかったため飛び出す個人名に事件簿について承知しておらずも、刺さりどころは
” もはや理屈ではなかった。筋肉が動かなくなってから、どう無理やり動かすか。プロレスは試合の途中で力尽きたらオシマイだから、最後は根性がモノを言う。その根性を鍛えるために、プロレスの練習メニューはとことん理不尽に作られているんだと思う。”(p77)
とデビューに前後して、さまざま肉体的、精神的、経済的困難に見舞われるも、夢の実現へ向け挫けずプロレス界で輝いていったさま。
刊行記念イベントでジュリア選手会いたさに生じた長蛇の列が理解出来たように。
既に海外での活躍の模様は続々とSNSで発信されてきており、
本書がきっかけで、ジュリア選手の夢実現へ向けたファイトにアンテナをしかと立てさせられた次第。