人それぞれ母校と呼べるところが、幾つかあるものと思いますが、
自分の中で母校と称せるところで最も長い時間(六年間)を過ごした小学校が取り壊しとなる前に、
最後の見学の機会が設けられ、
四半世紀以上ぶりでほぼ全館自由に回遊出来る形で校舎内に足を踏み入れてきました。
部分的には、選挙の際に投票所として訪れる機会であったり、或いはどさくさに紛れて・・
という時は、三年前に一度記事↑にしていましたが(苦笑)
本来の小学校としての役割は九年前に既に終えており、
以降は暫定利用と思われるテナント貸しが行われているなど、一般には長く立ち入りが禁止された状態でした。
遂に迫る、その時、、
自分の在籍時は、1学年3クラスで1クラス30数名/1学年で約100名(全校で600名程度)は居たものと思いますが、
最後の一年は全校合わせても60名とか、そのような驚愕の状況で、
中野駅周辺の再開発と絡めて取り壊しは随分前から規定路線で、何回か「もう秋には・・」といった類の噂は数回耳にしていて、
今回の催し実施に、入口で受付されていた方に質問すれば、解体工事の開始時期は未定であるものの
11月から測量が始まるなど、徐々に実施段階いが進んでいくようで「遂にか、、」と。
さいご、最後、最期。
開放は午後から夕方にかけての限られた時間で、情報を偶然知った時は予定で身動き取りづらい状況であったものの
今回を逃すと、もう機会は訪れないことから、強引にねじ込んで何とか終了45分前に到着。
自分が卒業した時から改装であったり、使わないところは補修が行われていなかったり、
(多くで)姿は原型をとどめていませんが、区画を見て湧き上がってくる思い出(ノスタルジー)に、
伝わってくる雰囲気に、「あぁ、そういえばこんなだったかなぁ」といった匂いに、
この場に来たからこそ五感で感じられることが多々あって、最初は「ざっと見れればいいか」くらいに思っていましたが、
結局、最後まで時間を目一杯使って、その瞬間を楽しんできました。
来られている人は、友だち同士に、グループで懐かし話しに花咲いているところもあり、
記念撮影のお手伝いを引き受ける場面も訪れ、お互いを知らないながら、同じ桃丘卒業生である緩やかな連帯感も心地良かったです。
ただ、そこにあるだけで良かった
ジョン・ディマティーニ博士の言葉であったか、「人はたとえ何をしていなくとも、必ず誰かの為になっている」という物言いがありましたが、
これは人に限らず、今回の私にとっての桃丘小学校も役割を終えても、そこにあるだけで安心感というのか、大きな意義を持った存在(場所)で
都市計画的には乗降客数に恵まれた駅前の大型区画が有効活用されていないことはダメダメながら
自分にとっては、そういった場所が一つ無くなってしまう寂しさ(実際、取り壊しが始まれば強く感じるであろう)を抱えながら
しっかり別れの機会に立ち会えたことは、過去と現在の自分を繋ぐことになった短くもとても有意義なひと時でした。
自分はたまたま今回の情報を入手し反応出来ましたが、
情報に触れる機会を逃してしまったり、転居や別件等で、この場に立ち会えなかった全ての(東京都)中野区立桃丘小学校卒業生に今回の記事を捧げます。