前回↓
に続いて『プラチナ・ディスクはいかにして生まれたのか テッド・テンプルマンの音楽人生』の読了記(後編)。
大成功連鎖の反動
VAN HALENを不動の地位に押し上げた “1984 “に
” アルバムの売り上げは1000万枚を超えはしたが、私はこのアルバムは好きではない。<ホット・フォー・ティーチャー>と<パナマ>は素晴らしいが、未だに<ジャンプ>には惹きつけられない。
正確に言うと、曲自身と、レコーディング時の経験を切り離すことが出来なくて、あのアルバムに対してなかなか客観的になれないのだ。”(p439-440)
と表向きにはロック史に燦然とするアルバムながら制作時に生じていた容易ならざる亀裂に、
その後リリースしたDavid Lee Rothの” Crazy From The Heat “が
” 1月にEPが出て、私はその反響の大きさにとても驚いた。デイヴの右腕、創造性あふれる人間であるピート・エンジェラスが制作した、< カリフォルニア・ガールズ> と<ジャスト・ア・ジゴロ>/アイ・エイント・ゴット・ノーバディ>の笑える上に記憶に残る2本のビデオはMTVを席巻した。
・・中略・・
だからこそ、私もまるで油断したのだ。突然、ソロ・アーティストとしてのデイヴが深夜のテレビやMTV、ラジオなどに全面的に登場するようになった。
私はEPの魅力を、ひいてはデイヴの魅力を過小評価していた。彼は<ジャンプ>が彼を大きくしてくれた以上に、自分自身で自分を大きな存在にしたのだ。”(p476-477)
思わぬ成功を収め、
” 次に私が耳にしたのは、デイヴとピート・エンジェラスがデイヴを主人公にしたコメディ映画を作りたがっているという話だった。”(p477)
と状況に拍車がかかり、当事者に疑心暗鬼を生み出す形で複雑化していき
“ヴァン・ヘイレンに入りたいと思ったサミー・ヘイガーを、私は責めることは出来ない。彼らはアメリカで最大のバンドであり、アルバムもツアーもこれまで最大の結果を出したところだ。
だが、はっきり言うと、サミーがやったことは、夫と最近別居したばかりの妻に向かって言い寄ったようなものだ。
感情的に落ち込んで不安な時に、外からこういう影響を受けたら、修復の機会など潰されてしまう。”(p493)
事実の積み重なりから、David Lee Roth脱退に発展してしまい
” 両者のアルバムがそれぞれの道を進んでいる間も、私はデイヴとヴァン・ヘイレンの残りのメンバー達が仲直りしてくれることに一縷の望みを抱いていた。
だが、『5150』も、『イート・エム・アンド・スマイル』も、共にプラチナ・レコードとなった。
これで、デイヴも、エディやアレックスも、再度手を組むことを願って、低姿勢で相手に近づくということはなくなってしまった。”(p512)
と修復も叶わぬ状況に・・。
晩年に直面した悲哀
本の後半は1988年リリースの David Lee Roth “Skyscraper“の制作前
” 私はデイヴに電話を入れた。「デイヴ、次のレコードも私にやって欲しいかい?」と尋ねてみた。
彼はイエスと答え、1987年の早い段階から作業を始めたいと告げた。”(p516)
と内諾を得るも、期間を置いて
“「ところで、テッド。俺には新しいプロデューサーが必要だと思うんだ」”(p516)
と白紙撤回され、VAN HALENデヴュー前から続いていたDavid Lee Rothとの信頼関係が崩壊。
また、役員に名を連ねていたワーナー・ブラザーズからも
“「きみを辞めさせねばならない。申し訳ない」”(p550)
と、上層部での権力闘争に巻き込まれる形で長年の功績とは裏腹な現実を突きつけられ、
” レーベルで働いてもいないのに、働いている時の年俸以上の金を、なぜ会社側が喜んで毎年、私に払うと言い出したのかということだ。”(p551)
皮肉な末路を辿り、その後、テッド・テンプルマンは健康に害を及ぼす自堕落な生活に陥り、栄光の反動を見せつけられた形に。
特にVAN HALENファンとしては興味深い回顧録といえ、全574ページ、厚み40cmに及び内容的にバッチリな私でも9日間に渡った読書期間から読み手を選ぶ著書ながら、得難い読書機会となりました。