ノンフィクションライター長谷川晶一さんが、プロレスラー三沢光晴選手の最期の瞬間、その前後に迫った『2009年6月13日からの三沢光晴』を読了。
(2020年)6月に入手出来た一枚の写真⬇︎がきっかけとなり、
その後、間もなく読んだジャンボ鶴田選手の生涯を辿った『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』にある
“「鶴田を本気で怒らせた三沢はひょっとしたら・・」 “(p445)
の一文に、より(三沢光晴選手への)興味を掻き立てられ、満を持しての読書。
超人の強靭さと周りを包み込む心の温かさと
本文は、三沢光晴選手が、試合中に亡くなった当日の二〇〇九年六月一三日、深夜二時から始まり、
一部、時間の逆戻りはあるものの、最期の瞬間までその日どのような経過が辿られたのか、
異変が起こってからの状況、死亡が宣告されてからのこと・・
” 本書の出版が正式に決定すると、NOAHとの強い信頼関係を築いている佐久間氏が交渉にあたってくれたため取材依頼は順調で選手インタビュー、そして関係者への取材は実にスムーズに進めることができた。
NOAHの全面的な協力、そして、三澤真由美夫人のご理解があって、本書は無事に出版の運びとなった。”(p253)
と正規の扉が開かれた下での関係者の証言を交えて、克明に当時の状況が綴られています。
三沢光晴選手が生前、自身の最期を予期していたのか
” オレにもしものことがあっても、オレはお前を恨まない。そして、お前は絶対にリングに上がり続けていてほしい。”(p232)
とのメッセージをしたためていたことに、
” 僕みたいな出入り業者の末端にまで気を遣ってくれる人。それが三沢さんなんです」”(p177)
と、立場関係なく胸筋を開いて付き合い慕われた人がらに・・
全日本プロレスで時代を築いたエース程度の認識であった自分に、
” 「・・・プロレスだけではなくて、人生そのものの表現力において人間力がある人。やっぱり、生まれ持ったものもあるだろうし、三沢さんが歩んできた人生もあるだろうし」”(p192)
などと称えられた三沢光晴選手のそれにとどまらない人間性が十二分に伝わってきました。
突きつけられる「三沢さんだったら」の問い
中でも象徴的であったのは、「あとがき」でも長谷川晶一さんが言及されていたことと重なりますが、文中、
” 「今でも、僕の中では三沢さんが息づいていると思いますよ。普段の生活でも、「三沢さんだったらどうするんだろう?」って考えますからね。」”(p201)
といった表現が散見され、身近で袖触れ合った人たちの多くが「三沢さんだったら、こんなときにどうするか?」という自問を繰り返していること。
思い入れを強くしている人たちにとっては尚更でしょうが、三沢光晴選手が、プロレスラーの枠を超え一個人として生きざまを身を以て体現していた軌跡の断片に触れられた悲しくも熱い著書でした。