ノンフィクションライター 長谷川晶一さんの『中野ブロードウェイ物語』を読了。
最初、「こんな本出るのかなぁ」といった受け止めでいたところ次第に「この本を読まずして・・」といった心情に切り替わり、
週末サイン本を買い求めに出かけ入手していた経緯。
中野ブロードウェイ 360°
” 30代を迎える頃、漠然とした思いが頭をかすめることになる。(いつか、中野ブロードウェイに住みたいな・・・)
・・中略・・
30代も半ばとなったある日のこと、いつものように中野ブロードウェイを訪れると、「オープンルーム」と書かれた看板が目に飛び込んできた。
・・中略・・
そして、自分でも驚くべきことに、その場で仮押さえをしてもらい、「すぐに買います」と話をまとめてしまったのである。ローンの算段など何も考えていなかった ー 。”(p14-15)
という経緯から中野ブロードウェイの住人となった長谷川晶一さんによって書き進められていった本書は、
” 中野ブロードウェイを訪れた人は、まず天井の低さに驚くだろう。
・・中略・・
そこで、少しでも開放感を生み出すべく、一階から二階、そして三階から四階に、それぞれ二層分の高さの吹き抜け空間を採り入れることにした。
さらに、店舗用の床面積を最大限に確保すべく、廊下やホールなどの共用スペースの面積もとことん切り詰められていく。
その象徴が一階から二階を素通りして、三階まで一直線のエスカレーターだった。”(p88)
と二階ではなく、一階から1フロア飛ばしで三階まで運ばれてしまうエスカレーターの謎に、
” 10年代に入る頃から、中野ブロードウェイには高級時計ショップが続々と誕生している。
かつては三階の「ジャックロード」、その姉妹店の「ベティロード」、そして「かめ吉」の3店舗だったものが、高級時計専門誌『POWER Watch』によれば、19(平成31[令和元])年には15店となり、二年後の21年3月には22店舗まで増えて、その勢いはなおも続いている。”(p228)
近年ブロードウェイで隆盛を誇る高級時計店事情に、
” カラフルな七色のイメージもあるけど、どこかディープな黒とか茶色、灰色の感じだな」って思いましたね。”(p58)
や
“「ブロードウェイというのは新品よりは古いもの。むしろガラクタとか古びたものが流れ着く場所という感じですよね。
キラキラ光るものよりはドヨーンとした感じ(笑)。自分のような同類がゾンビのように集まる場所ですね」”(p188)
と言い得て妙と感じられたブロードウェイ評に ^^ 気になっていたことが紐解かれていたり、
礼讃にとどまらず、中野ブロードウェイの核テナントともいうべき最大勢力まんだらけ創設者 古川益蔵取締役会長の
“「確かに店舗数は増えましたけど、ブロードウェイの理事会や組合を牛耳っているのはやっぱり昔からの古い人たちなんです。いくら改善点を指摘してもまったく聞こうとしない。”(p129)
と示された危惧に、
“「建物自体が、もうもたないんじゃないかと思います。」”(p240)
1966年築で持続可能性が危ぶまれる駆体に、、
記されるべきことをしっかり読ませて貰えたといった感想を持ち、後半に差し掛かってからは読了が惜しまれてしまうほどに満足感得られた読書となりました。
中野ブロードウェイが待つ近未来は・・
中野全体では、シンボルとも言うべき中野サンプラザの解体に
中野駅周辺各所で見受けられる代謝が進められていく中、中野ブロードウェイが古き良きとなるのか、廃墟に堕ちてしまうのか、岐路に立たされていることが本書を通じても読み取れ、
中野の歴史の重要な位置を占めてきた施設であることは揺るぎないことで心配を増幅させられた点、危機が広く共有され、長く中野が誇る世界のランドマークとして正しく存在感を放ち続けていってくれることを読後切に願わされました 🙏