昨今の昭和の偉人たちへの関心の高まり、その中の一人、双葉山関に対する興味から『一人さみしき双葉山』を読み始めて
242ページ(別途、解説)あるうち136ページ(12/20)まで読み終えたので、
そこまでのおさらい。
本書は著書の工藤美代子さんが、ともに旅行に出られたお母さまから
” 「双葉山ってお相撲さんが死んだ時ね、焼場に恋人が現れたの。そして、そっと係りの人にお金をつつんで、お骨を分けてもらって帰ったんですって。
ママはその話を、鏡里のおばあちゃんから聞いたんだけど、あの頃、『骨まで愛して』っていう歌謡曲が流行っていてね、骨まで愛した女が本当にいたんだねえって、おばあちゃんがしみじみ言ったのを、今でも覚えているわ」”(p9)
という話しを耳にした後、幾つかの偶然が重なり、
” スポーツの世界を、普通の人よりはよく知っているはずの両親が、揃いも揃って、双葉山のこととなると、とたんにロマンチックになってしまう。
これは、つまり、双葉山という力士が、完全に神格化されてしまっているからだろうと私は解釈した。”(p15)
との仮説に至り、
謎に包まれた双葉山関の実像への関心が高まり、現役時の文献を参照したり、生前の双葉山関と親交のあった人たちなどへ取材が行われ、等身大の姿を浮かび上がらせようと意図されたもの。
先日、読了した『横綱の品格』↓が、
双葉山関自身(の手)による振り返りに対して、
本書は双葉山関周辺から浮かび上がる双葉山関の姿といった趣きで、冒頭の遺骨のエピソードに関して
” ほとんどが間接話法ではあったが、この日の三保ヶ関親方とのインタビューで、私が知り得たのは、骨を持ち去った女性が確かに存在したこと。
しかも、その女性は双葉山に囲われていたのではなく、対等な立場で関係を続けていたこと。
その関係はかなり長期間にわたって続いていたこと。そして、そういった関係は相撲界ではそれほど珍しくはなかったということなどだった。”(p41)
という背景が明らかになったり、
双葉山関の生い立ちを調べたプロセスから
” 十四歳まで双葉山は、母親の死、父親の二度の失敗による困窮、大人並みの重労働、水死しそうになる事故と、普通の少年とは比べものにならないほど多くの不幸と困難に遭遇している。
・・中略・・
すでに少年時代に、双葉山は人生に幸運を期待することを止めていた。”(p46)
という双葉山関の人生観に、
” 「本人もなりとうてなったんじゃない」と江口さんは双葉山の相撲界入りについて語った。
元力士だった久保さんに、ちょっと遠慮するような口調で、昔は相撲取りになるのは、極道者のような感じにとられたとも言う。
だから、おばあさんが、「一人しかおらん子を、あんなとこにやるか」と大反対した。
それでも、相撲取になったのは、自叙伝に書いてある通り、経済的な理由からである。”(p64)
という各界(相撲界)入りの経緯など、
双葉山関の等身大であろう姿が、本を読み進めるにつれ次第に完成されていくかの感覚を得られて、読書が興味深いプロセスとなっています。
後半で知られざる双葉山関の実像がクローズアップされるものと、そのプロセスを楽しみにしたいと思います。