歴史学者 Yuval Noah Harari:ユヴァル・ノア・ハラリ著『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来(上)』
を読み始めて、半分程度(〜位置 No.2140/第1部 第3章 証券取引所には意識がない理由 )のところまで来たので、そこまでのおさらい。
『サピエンス全史』👇 を読んだのも
本書を読むためのプレリュードとしてのことで、
期待度高く読み始めましたが、
比喩的表現多く、内容も全般難易度上がったかの感触で苦戦気味、、。
要所をつまみ食いしている感じですが、本書の概要は・・
“本書の第1部(註:ホモ・サピエンスが世界を征服する)では、ホモ・サピエンスの他の動物たちとの関係を取り上げ、どうして私たちとの関係を取り上げ、どうして私たちの種が特別なのかを理解することを試みる。
・・中略・・
本書の第2部(ホモ・サピエンスが世界に意味を与える)は、この第1部の結論に基づき、ホモ・サピエンスが過去数千年間に作り上げた奇妙な世界と、現在の重大な岐路へと私たちを導いた道筋について考察する。
・・中略・・
本書の最後に当たる第3部(註:ホモ・サピエンスによる制御が不能になる)では、二一世紀初頭に戻ってくる。人類と人間至上主義の教養については得たはるかに深い理解に基づき、第3部では私たちの現在の苦境と、人類がたどりうるさまざまな未来を説明する。”(位置 No.1347-1365.)
と、3つの軸から構成。
果たして、我々は・・
記述は、
” この数十年というもの、私たちは飢饉と疫病と戦争を首尾良く抑え込んできた。 ・・中略・・
もし私たちが、飢饉と疫病と戦争を本当に抑え込みつつあるのなら、何がそれらに替わって、人類が取り組むべき課題のリストの上位を占めることになるのか? ・・中略・・
二一世紀の人類は、前代未聞の問いを自らに向ける必要に迫られている。”(位置 No.52-74)
という時代認識、問題提起に、
” 人間というものは、すでに手にしたものだけで満足することはまずない。
何かを成し遂げたときに人間の心が見せる最もありふれた反応は、充足ではなくさらなる渇望だ。”(位置 No.422)
という人間の業に、
” 人間は至福と不死を追い求めることで、じつは自らを神にアップグレードしようとしている。
・・中略・・
これまでのところ、人間の力の増大は主に、外界の道具のアップグレードに頼ってきた。
だが将来は、人の心と体のアップグレード、あるいは、道具との直接の一体化にもっと依存するようになるかもしれない。”(位置 No.883)
といったユヴァル・ノア・ハラリならではの予見に・・
さまざま我々人類(ホモ・サピエンス)について深く考察されたストーリー、内容で、
ページを読み進めていく上で好奇心刺激されるワクワク感有り、中盤から後半にかけてが楽しみです。