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羽黒山伏 星野文紘さんの『感じるままに生きなさい ー山伏の流儀』読了記が思いのほか、多くの方にご覧頂けたこともあり
以下に、本の中で重要と思い、前回書き切れなかったお気に入りのところを加筆的に書き留めます。
「うけたもう」すべてを受け入れる
” 修行の場では一切しゃべらない。俺のやり方は「自然から学びなさい」だから。
修験道というのは人から聞くものじゃない。ぜんぶ自然から学びなさいと。だから山の宗教なんだ。
修験道はどこも根底は同じだよ。羽黒修験でよそにないのは、これ
「うけたもう」
羽黒修験だけにある言葉だ。すべてを受け入れる。
そこには信頼ということがあるんだろうね。われわれは何を言われても、まずは「うけたもう」なんだよ。”(p55-56)
自分の魂は先を歩いている
” いかに魂がすべてに影響しているか。スピリチュアルや魂の話をすると、あっち側の人だといままでは笑われていた。
ちょっと問題もあったけどね、いままでのスピリチュアルには。だけど山伏は、体を張ってやっている世界だ。
俺自身、魂というのはこういうものだなと思うことがあるけれど、みんなにもそれは絶対にある。
二時間遅れて行ったら、事故に遭わないですんだ。
遠回りで行ったら、ふだん会いたいなと思っている人に会えた。そういうこと、あるだろう?
たまたまとか、偶然とか、そういう言葉で片づけていることだ。
それは魂が先歩きしてるんだよ。魂というのは自分ではわからない。
自分の魂は、いつも先を歩いているからだ。俺はそう感じている。必ず、先を歩いているんだよ。
魂の時空間は、どうなっているか?
一時間先、一日先、一年先、一〇年先、亡くなってからの先、山にのぼって神様になるまで、魂は先を動いてるんだろう。
だから、たまたまとか偶然が多くなってきたら、魂と自分が近づいてきているということだ。”(p127-128)
魂のまにまにの極意
特に、お気に入りは後段の「自分の魂は先を歩いている」ですが、
前回の要約的な
” 感じるからはじめるとトラブらない。それぞれの魂のまにまにやっていたら、スイスイいくよ。”(p38)
の解明に当たる内容といえるでしょう。
二回に渡って引用した文章は、本の断片に過ぎないですが、全編を通して本に触れられると、
私が抜き出した言葉、文章が、重みを伴って多くの方々の精神に浸透していくものと思います。