作家 細田昌志さんの『力道山未亡人』を読了。先月(2024年6月)末、闘道館で開催された本書
出版記念トークショー&サイン撮影会で入手していた経緯。
本書は、作家 故安部譲二さんが細野昌志さんに
” 「敬子さんを書いてよ」
「え?」
「田中敬子。ほら力道山の奥さんだった」”(p309)
と提案を受け、安部譲二さんの死去により頓挫しかかるも新たな橋渡し役の出現により出版に至った著書。
序盤から
” 腹部を刺され、山王病院に運ばれた力道山は、応急手当で済ませると、医師の忠告に耳を貸さず「家に帰る」とわめき散らしたという。
「病院」で手術をすると警察に漏れてしまって、報道されかねない。そうすると「力道山は強い」というイメージが損なわれる。そのことを、まず考えたんでしょう」(田中敬子)”(p21)
緊迫の場面が描写されつつ、力道山と田中敬子さんがそれぞれの道を歩んでいた頃から
“「リキさん、この人どう思う?」
「どうって?」
「あんたの、お嫁さんにどうってことよ」
このとき、初めて、力道山は田中敬子を見たのである。”(p68)
と一枚の写真から二人の人生が交差を始め、
“「リキさん、婚約されていますね。週明けの夕刊ですっぱ抜きますから」
電話の主が「夕刊のスポーツ新聞」と言って思い浮かぶのは、東京スポーツである。
東京スポーツは、右翼の大物にして政財界の黒幕である児玉誉士夫が、プロレスを報じながら「親米反共」のプロパガンダを目的の一つに刊行した夕刊紙である。当然、力道山に近く、私生活も大抵のことは把握していた。周辺から漏れただろうことは察しがつく。
急遽、婚約会見を行うことが決まった。”(p.107)
といった具合、ふんだんに飛び出す実名に生々しい時代背景が盛り込まれ、二人が辿った軌跡を軸に話しが進んでいきます。
晴れて結ばれたは良いが
” こないだまでスチュワーデスとして世界中を飛び回っていたのに、誰もが知るスターと結婚したと思ったら半年で先立たれ、今では五つの会社の社長となり、短大生と高校生と中学生の母親になって、来月には出産を控えている。自分の人生は一体何なのだろう。”(p179)
と力道山の死で急転していく現実に、
“「ところで、この先、相続税の支払いはどうされるおつもりですか」
「どうするって、前に話した通りですよ。十年の年賦で払います。」
そう言うと、富沢は怪訝そうに返した。
「年利が一億も付きますがいいんですか。それと、前社長の追徴課税が、まるまる残っていますから、合意すると四億五千万円(現在の価値で約十八億円)になるんですけど」”(p222-223)
と次第に明らかになっていた尋常でなかった力道山の先見性と事業欲の反動に・・
終盤は、力道山十三回忌追善大試合を巡って
” ジャイアント馬場を指して「特別扱いだった」と言う人は多いが、敬子にはそうは見えなかった。馬場のことはヒット商品として扱ったにすぎない。特別扱いは猪木の方なのだ。猪木こそ、力道山の後継者だった。”(p10)
と寵愛を受けた(当時)アントニオ猪木選手と噛み合わなかった事情(プロレス史)に、四半世紀を経て訪れた手打ちの場に・・
本書は、第30回小学館ノンフィクション大賞受賞作の評価を得た作品で、重厚感伴う読後感とともにおぼろげにしか描けなかった力道山の人物像と、未亡人 田中敬子さんにアントニオ猪木さんら身近で奔走された方々の軌跡を現実感を伴って感じることが出来ました。