土曜の夜を迎え、満を持して週初めに開催されていた伊藤政則さんのシリーズ化されているトークイベント
「伊藤政則 の『遺言』オンライン・スペシャル5」をアーカイヴ視聴。
前回の ↓
1991年に発表されたMETALLICAのブラックアルバム、GUNS N’ ROSES 「Use Your Illusion」が30周年を迎えたトピックからの流れを受け、今回話題の中心は1990年の日本のメタルシーン。
日本では輝きを放っていた90年代
進行役を務められているBURRN!広瀬和夫編集長によると、BURRN!の発行部数のピークであったのが1997年で、
広告は現時点の5倍程度はあったそうで、料金も(今をその時と比べると)寂しくなるといったお話しのところ
伊藤政則さんが、ビッグ・イン・ジャパンの表現を用いられ、90年代にはアメリカや本国で契約が無かったり、切られたものの
日本国内のレーベル(PONY CANYON、Zero Corporation)で高額契約のバンド(FAIR WARNING、FIREHOUSE、LIONSHEART etc)がたくさんいたと。
中には契約先を探していたJUDAS PRIESTに法外なオファーが示されZero Corporationが契約に漕ぎ着けたり、キャリアの岐路に立っていたGlen HughesやMichael Schenkerといったビッグネームも
海外と日本での待遇の格段の差に気付かされ、活動の基軸を示される場になったり等、北米、ヨーロッパでヘヴィメタルが退潮を迎える中、日本は80年代よりもむしろ活況を呈していたと。
その旨味は「ヘヴィメタルは伊藤政則とBURRN!だけ押さえておけばいい」との見方から新規参入も促していたと。
海外では90年代にそっぽを向いていたプロモーターらが、再びヘヴィメタルのフェスティバルを開催しているといった流れになる中、日本ではずっと80年代から続いていたとの指摘。
隠れていた名曲が、本家も動かした
印象的であったのが、PRETTY MAIDSのアルバムの中で一番売れたのが、
Sin Decade で、それはJohn Sykes の Please Don’t Leave Me が日本の他、ヨーロッパでのヒットに繋がったことが効いたそうな。
当初は、アルバムに入れるつもりなかったところ制作段階で耳にした関係者が「これ、何曲目に入るの?」とメンバーに問うたところ
「いや入れるつもりないよ」と返され、強く含めることを薦められ収録されることに至ったそうですが、
余波は、印税収入からかJohn Sykesの目も開かせることになり
Don’t Hurt Me This Way(Don’t Leave Me ’97)
Lovelandでの新規レコーディングに ↑ ライヴパフォーマンスでも披露され、「確かに一時期よく流れていたなぁ/聴いていたなぁ」と実体験として身に覚えある者としては興味深く、土曜夜の束の間のタイムスリップに心地良く身を委ねされました ^^