先週、中間記 ↓を
その(中間記)後、読み進めたのは
第八章 明治維新
第九章 明治の夜明け
第十章 世界に打って出る日本
第十一章 大正から昭和へ
第十二章 大東亜戦争
第十三章 敗戦と占領
第十四章 日本の復興
終章 平成から令和へ
文庫本の「下巻」部分。
奇跡、そしてそれから
最も百田尚樹さんの思いが込められた記述は
” 敗戦からわずか十九年で、アジアで初めてのオリンピックを開催し、ホスト国として世界の国々を招き、同じ年、第二次世界大戦の戦勝国すらどこも成し得なかった「時速二〇〇キロ以上で走る高速鉄道」(新幹線)を東京から大阪まで開通させました。
そして、その四年後、GNP(国民総生産)で西ドイツを抜き、世界第二の経済大国となったのです。世界はこの復活に驚愕しました。”(p564)
の一文に感じた一方。
” 東京大学法学部からは、戦後も数多くの官僚が輩出しています。「自虐史観」に染まった教授たち(一部は保身のためGHQに阿った)から「日本国憲法は日本人が自主的に作った」「東京裁判は正しい」という教育を受けた人たちが、文部科学省や外務省の官僚になるということの方がむしろ、恐ろしいです。
「教職追放」は大学ではなく、高校、中学、小学校でも行なわれました。最終的に自主的な退職も含めて約十二万人もの教職員が教育現場から去ったといいわれています。
その多くが愛国心を隠さなかったり、保守的な考えを持っていたりした者で、特に戦前の師範学校出身者が多かったともいわれています。”(p547)
と今も引きずられている(であろう)闇に、
” 昭和四〇年代から(昭和三〇年代からという情報もある)、北朝鮮に何百人もの日本人が拉致されてきたにもかかわらず、数人しか取り返すことができていません。
国の主権が著しく脅かされ、推定数百人の同胞が人権を奪われ、人生を台無しにされているにもかかわらず、「返してください」と言うことしかできないのです。
これはまったく国家の体をなしていないといえます。戦前の日本では考えられない事態です。いや、幕末の志士ならこんな横暴は決して許さなかったでしょう。
平成一一年(一九九九)には、国籍不明の不審船(おそらく北朝鮮の工作船)が能登半島沖の領海を侵犯しましたが、対処に当たった海上保安庁と自衛隊は装備面からも追跡することできず、みすみす逃しています。
昭和二八年(一九五三年)に韓国に奪われた竹島もいまだに取り返すことができないでいます。
こうしたことの根源は七十年前、GHQが、日本を完全武装解除するために押し付けた憲法に起因します。
憲法と、その憲法のもとで日本の自衛隊が制限されているとする解釈のせいに他なりません。憲法九条と誤った憲法解釈があるばかりに、日本は国土も国民も守れない国になってしまったのです。”(p632-633)
という脈打つ喫緊の課題に、時代が近づくほど影の部分を色濃く。
日本通史の当事者たち
聞けば
発売二ヶ月で文庫版も累計50万部を突破しているとのこと。
” 時に私なりの大胆な解釈を加えて歴史を見ていくこととします。”(p15)
と、百田尚樹さんが誘(いざな)う日本通史は、読みやすく書かれた文で私たちの祖先の生きざまに触れることができ、
また知られざる(史実)も学べながら、大東亜戦争後辿ってきた歴史には、鋭く刃を突きつけられている思いを抱かざるをえない読後感を・・