先週、読了記をアップロードした『生きがいの創造』【完全版】に関して、
取り上げ箇所が、本の前半部のみで完結させたため、読了時から間隔が空いたこともあり、復習を兼ねて後半部で印象的なパートを抜粋したいと思います。体裁も若干改めています。
なお、下記の引用箇所は著者の飯田史彦さんが仮説として提示している内容も含まれており、念のため付記します。
自分を護る守護霊
” 「どのような人にでも、必ず、守ってくれている意識体がいる」 ・・中略・・
「悪人や犯罪者など、とても守護霊がついていると思えない人にも、かならず守護霊はいます。
ただ、守られている本人が、その存在に気づかないだけです。」(位置No.5454/数値は電子書籍のページ数に相当/以下同様)”
哀悼の効用
” 特定の宗教を持っていないとしても、亡くなった人のことを考えるだけで、祈ることになる ・・中略・・
とにかく、祈る対象を愛でつつみ、抱きしめ、あの世に愛を送ればいいんです。
祈りを受け取れば、あの世(あの世というのは、肉体から離れた想念の世界ですから、思い浮かべた通りの自分になることができるんです。/No.6125)にいる魂は、喜んでくれます」”(No.5461)
真に人を救う「愛情」と「希望」
” 真に人を救うのは、薬や奇跡やスピリチュアルな力ではなく、「愛情」と「希望」です。
相手に自分の純粋な愛情を差し上げながら、未来への希望を抱いていただけるよう導くこと
(・・・それこそが、スピリチュアリティ・カウンセリングの方法にほかなりません。)”( No.6230、6239)”
” 「スピリチュアルな観点」とは、日本語に訳しにくい言葉ですが、あえて訳せば「人間の本質は精神(心、魂)であると仮定し、
精神的な豊かさを追求する観点」とでも言うことができます。”(No.6767)
つながりの意識
” 私たち人間には、「挫折した時に心を休め、自分を取り戻すための精神的な支え」が必要であり、
それを(マーティン・)セリグマン博士(ペンシルバニア大学教授『オプティミストはなぜ成功するのか』の著者)は人間の「共通認識」と呼び、「国、神、家族、そして私たちの生命を超えた大きな目標」に対する信頼感であると表現しています。
共通認識とは、まさにトランスパーソナルな(個を超えた)認識を指しており、
「大きな目標」という表現は、人間としての「使命」という言葉ともつながっています。
現代人の多くは、このような共通認識、つまり「人間が共通してそこに属し、つながっていると思えるような存在」をどんどん見失い、
自分(自己)こそが人生や生活の中心により、人間が世の中で一番偉いのだという錯覚の中で生きています。
自分より大きな存在を認めないため、失敗はすべて自分の責任であり、そのショックははかりしれないものに思えます。”(No.6588-6596)
「生きがい」の本質
” 「生きがい」とは、自分という人間の存在価値の認識から生じる、「より価値ある人生を創造しようとする意志」のことをいう。
つまり、「生きがい」とは、「より価値ある人生を創造しようとする意志」のことであり、
そのような意志は、自分という人間の存在価値を自認し、その価値を高めようと望むことによって生じるのです。”(No.6623)
” 人間にとって「生きがい」を持ちにくい人生観とは、「自分や偶然性の積み重ねの中で生きているだけであり、
人生展開を支配する宇宙法則など存在しない」という思考方法です。”(No.6879)
方や・・
” 人間にとって「生きがい」を持ちやすい人生観とは、「自分は、人生展開を支配する様々な宇宙法則のもとで生きており、
人生で生じるあらゆる出来事には、必ず深い意味や理由がある」という思考方法です。”(No.6900)
” このような考え方で生きていくと、「人生は、自分を成長させる修行課題としての順調な試練に満ちているが、
本質的な失敗・挫折・不幸は存在しない」という解釈のもとで、あらゆる出来事や人間関係に深い意味づけを感じながら、真に前向きな生活を送ることができるでしょう。”(No.6928)
” 宗教では、「神」や「仏」や、「天国」などの専門用語を開発しながら、
要するに、「あなたは人生展開を支配する様々な宇宙法則のもとで生きており、
人生で生じるあらゆる出来事には、深い意味や理由があるのですよ」と説明することによって、多くの民衆を救ってきたのです。」”(No.6928)
” 「宇宙には因果関係の法則が働いているのを知り、すべては自分自身に原因があるということを正しく理解すれば、
『どうせ自分にはどうすることもできない』という運命論的な無力感に、とらわれないようになる。
このような概念は、初めは恐ろしいと感じるかもしれない。すべてが自分の責任になってしまうからだ。
しかし、実は、この概念を受け入れれば、『自分は運命に翻弄される弱い存在ではなく、望み通りの人生を好きなように創造できるのだ』と自覚することができ、それによって心が解放されるのである。”(No.7183)
” アインシュタインは、このように述べている。『科学を真剣に追求している者は、
誰であれ、宇宙の法則の中に、神の魂が明らかに存在していることを確信するようになる。』
神の魂は、人間の魂をはるかにしのいでおり、神の魂を前にして、人間は自らの力がいかに小さいかということを知り、謙虚にならざるを得ないのである』と”(No.7677、7685)
” 私たちは、しばしばマイナス思考にとらわれ、「もうダメだ」「どうせ、がんばっても無駄よ」などと思い込み、人生を投げ出したくなってしまうものです。
なぜなら、人間の心には表と裏があり、心の表面を強制的にどちらかの方向に向けようとすると、
心の奥ではその力に対する反発が生じて、それとは反対の方向に向きたがることが少なくないからです。”(No.6670)
” 自分が誰かを助けてあげると、いつか自分が困った時に、同じくらい、不思議に誰かから助けてもらえるのです。
したがって、人生では、ほかの人から返してもらいたいと思うような言動だけを、ほかの人に対して行えば良いのです。”(No.7201)
ブレイクスルー思考
” ブレイクスルー思考とは、「すべてのものごとには意味と価値があり、表面的には失敗・挫折・不運のように見えることも、
すべて自分の成長のために用意されている順調な試練である」という信念を持つことによって、
「その試練に挑戦するだけで、乗り越えたのと同じ価値がある」と考えながら、人生の試練を気楽に乗り越えていこうとする思考法である。”(No.6717)
生きることの理解と本質
” 『心』こそが、人間の正体なのです。私たちの正体は、今は人間の体と一体化して生きており、
人間の体から離れても存在することのできる、『心』という想念なのです。”(No.7118)
” 人生は、偶然の積み重ねでもなく、ほかの何者かに押し付けられたものでもありません。
自分の意思で計画して生まれ、人生を終えた後には、自分で評価するものなのです。
したがって、あなたは、誰かのせいでひどい目にあっているわけではなく、すべてのことは、あなたのために起きている、順調な、ありがたい試練なのです。
ですから、あなたはもう、誰も恨む必要はありませんよ。あなたはもう、誰も恨まないで済むのです」”(No.7151、7159)
” 人生は、なかなか思い通りにならないものですが、それは、わざわざ自分自身で、思い通りにならない人生を計画して、その葛藤や克服を学ぼうとしているからなのです。
あなたはこれまで、人生は、思い通りになればなるほど価値がある、と誤解していませんでしたか?”(No.7159)
” 「人生は、自分の成長度に応じて自分が設計した問題集ですから、学びを積んだ者ほど、より高度な試練に数多く直面する人生を計画します。
・・中略・・
「人生というのは、色々なものを学ぶための機会、つまり、学校のようなものなのです。」”(No.7167)
” 「宇宙には因果関係の法則が働いているのを知り、すべては自分自身に原因があるということを正しく理解すれば、
『どうせ自分にはどうすることもできない』という運命論的な無力感に、とらわれないようになる。」”(No.7179、7187)
” すべてのことには意味があり、自分の人生は、自分が自分に与えた問題集であること、
そして自分を取り巻く人々は、愛してくれる人も、敵対している人も、
みな理由があって自分の成長のために存在してくれていることを知った時、私たちの人生観は大きくゆさぶられてます。”(No.7608、7617)
” 「これまでに調査した中で、臨死から戻ってきたあと、金持ちになろうとか、家族を忘れても仕事に没頭してやろうと考えている人には、出会ったことがない。
もっと自己中心的でもいいとか、貪欲でもいいと思っている人もめったにいない。
それどころか、みんな、『もっと人を愛し、親切にしなくてはならない』と確信するようになっている。
自分の体験をもとに、『人生を十二分に生きよう』という反応を示す。
『自分の人生には目的がある』と信じており、その目的には必ず、家族への愛や、他人の役に立つことなどが含まれている。
彼らは、生きているあいだに人に与える愛が、彼ら自身が死んだ時に自分に戻ってくることを知っているのである」”(No.7642、7651)
” 人生が「自分で自分に与えた最適な問題集」だとすれば、どのような人生であっても、生きていること自体に価値があるのです(生きているからこそ、その価値を実現していくことができる/No.8591)。
価値のない人生など、計画するはずがないからです。”( No.8582-8591)
” 「私たちに最も必要なのは、無条件で人を愛し、愛されることができるようにならなければならない、ということです。
ほとんどの人が、見返りを求める愛によって育てられています。
『もしも〜をしてくれれば、あなたを愛する』という考え方を身につけているのです。
この『もしも』という言葉が、何よりも、私たちの人生を、台無しにしているのです」”(No.8950)
何のため、そして、どのように・・
本書の後半で、
” 本書の目的である、「人生をどのように生きるべきか」という知恵を得るためには、
「何のために、どのようにして、人間として生まれてきたのか」という疑問について、自分なりに納得の回答を持っておく必要があります。”(No.7256、7265)
とあり、私の理解を超えた領域に踏み込んでいるところもあることから、今回(私の)解釈を付け加えることなく、
まだ「人生をのどのように生きるべきか」に対する自分なりの回答を得られていない方(私も勉強中)や、
または検索等を通じて、こちらにたどり着いた方々に何らかヒントがあればと幸いと思い、今回の投稿の意図と考えています。
なお、参考までに飯田史彦さんのウェブサイト(飯田史彦研究室)からも情報を得られるかもしれませんが、
本の最後で飯田史彦さんと京都市で直接お会い出来る(無料カウンセリング受講の)プロセスについて紹介されており、
私が書き切れなかった部分などから、より深い部分にアクセスされたい方は、そういった方法も選択することが出来るようです。