作家 猪瀬直樹さんが、世紀の大誤報の舞台裏に迫った
『天皇の影法師』を読了。
大誤報とは、
” 大正十五年十二月十五日未明、天皇崩御。その朝、東京日日新聞は新元号は「光文」と報じた・・・。”(裏表紙)
と、本来「昭和」であるところ「光文」と歴史的事件に猪瀬直樹さんらしい膨大、丹念な取材をもとに、
話しが進んでいきます。冒頭から核心に迫った記述が続くことから、「これで約300ページ/一冊?」と思いきや
本書は
天皇崩御の前に ー スクープの顛末
棺をかつぐ ー 八瀬童子の六百年
元号に賭ける ー 鴎外の執着と増蔵の死
恩赦のいたずら ー 最後のクーデター
の四作品を収録(別途、プロローグ等)。
それぞれどのようなことが書かれているのかを巻末の解説から拾うと、
天皇崩御の朝に ー スクープの顛末
” 天皇の死後、直ちに定められる次の元号、つまりやがては新天皇の諡号となるべき元号に関わる各新聞社の猛烈な競争の中でおこったスクープとその誤りをめぐる顛末の、息もつかせぬ叙述である。”(p291)
棺をかつぐ ー 八瀬童子の六百年
” 明治・大正天皇の葬送に当たって駕輿丁としてその棺をかついだ「八瀬童子」とよばれた人々について、多くの老人たちからの聞き取りと「八瀬村記録」をはじめとする文献資料の綿密な研究を通して、近代以降のその動向を詳細に明らかにしたまことに興味深い労作である。”(p292)
元号に賭ける ー 鴎外の執着と増蔵の死
「天皇崩御の朝に」の続編
恩赦のいたずら ー 最後のクーデター
” 敗戦の際、松江市でおこった県庁焼打を伴う、あまり世に知られていない「皇国義勇軍」のクーデター、その中心人物の岡崎功等の動きを追求しつつ、事件の推移を生き生きと叙述した読み物となっている。”(p293)
といった内容。
皇室から考える我われ日本人
それぞれ一読しただけでは容易に噛み砕けず、もやっ〜と感覚も生じましたが、
文庫版には、上記で引用した歴史学者 網野善彦さんの「解説」に、猪瀬直樹さんと作家 東浩紀さんの「巻末特別対談」が収録されており、
消化不良であった分を随分とフォローしてくれる役割を果たしてくれました ^^
その「巻末特別対談」で、東浩紀さんが
“『古事記』もそうですが、やはり天皇および天皇制については、学校教育できちんと教えていくべきだと思います。
別に「天皇を敬え」というのではなく、我われが天皇制という「機能」を使い続けてきた歴史を客観的現実として教えるべきだと思うのです。”(p304-305)
と提起されていたり、猪瀬直樹さんは
” とくに外国人と接するときに、そこで交わす会話のなかに、日本の風土であるとか、東日本大震災を含む日本列島に刻まれた記憶であるとか、季節感であるとか、
そういうものでつくり上げられた我われの拠り所に立脚した言葉を入れることによって、自分の立場をより強固にできる部分があると思う。”(p305)
との指摘に頷かされ、
本書で切れ込まれた内容に対する理解が深まるほど、自分自身と繋がる力を強まるとものと、良ききっかけにしたく読了後に考えた次第。