先月(2022年4月)、サイン本販売情報に反応して
入手していた一冊。
明治を生きた女性の・・
出だし
” 父はめったに感情を面に出さない男だったが、最後に振り向いた時、これまで見たことのないほど辛そうな顔で、志鶴を見つめていたのをよく覚えている。
それが何を意味するのか、その時には分からなかったが、夕方になっても父が戻ってこないことで、志鶴はその理由を覚った。”(p10)
の一文に、重たさを覚悟させられたものの
実際は、
” 海岸沿いの道ならまだしも、脇道に入ってしまえば、いざという時に助けを呼ぶことができない。だがここで追跡をあきらめてしまえば、下手人たちの隠れ家がある場所を特定できなくなる。
ー どうしよう。
一瞬、迷った志鶴だったが、佐吉の役に立ちたいという思いが勝った。”(p134)
という恩義に突き動かされての犯人を突き止めるべく決死の尾行劇に、
” 日々の忙しさから、志鶴は婚期を逃していた。半年に一度くらいは縁談も来ていたが、志鶴はすべてを断ってきた。志鶴が嫁に行ってしまえば、伊都は真なべ屋を畳まなくてはならなくなる。
明治の御一新で世の中は混乱しており、どこも人手不足で、安い給金で働いてくれる若い女など見つけられないからだ。
「わたしのことはいいんです。それよりも ー」”(p232)
身を預けられた先の女将さんとの間に築かれた確かな絆など、
本書に
触書の男
追跡者
石切り島
迎え船
切り放ち
紅色の折り鶴
の六話収録されているうち話しが進むほど、主人公 志鶴が瀬戸内海の港町笠岡を舞台に力強く成長していく姿が描かれており、爽快な読後感に導かれました。
健気さ伝わる生きざま
今まで読んだ伊東潤さんの著書の中で異色の作品と言えますが、八重洲ブックセンター 内田俊明さんによる「解説」で
” 多くの伊東作品では、敗者とされる人物は目的や欲望、大望を遂げられなかった悲しみを抱えながらも、己の誇りを失わず、悔いることがない。
反対に、いわゆる勝者を描くときは、信念をもって大業をなしとげたゆえの苦しみが、織り込まれて描写される。”(p334)
とあり、自分がなぜ一年前(2021年4月)から
伊東潤さんの作品に惹き込まれているのか、すっきり言語化されていた点も興味深く、
前に手にした伊東潤さん作品が↑上下巻に及ぶ大作であった分、心軽やかに読めた本作にも十二分な読み応えを得られました。