作家 伊東潤さんが、青森ねぶた祭りを題材にした長編小説『修羅奔る夜』を8月2日に読了。
サイン本販売情報に反応して
入手していた著書。
病魔により訪れた転機
“「脳腫瘍って ー」
紗栄子が絶句する。”(p21)
と青森と東京で分かれて暮らしていた兄妹(春馬と紗栄子)を突如襲った兄の生命に関わる危機から「直ちに手術せねば・・」の状況も、
“「春馬は、ねぶた祭が終わっでからにすてほすいと言うの」”(p23)
とねぶた祭りへの思いは断ち難く、青森に舞い戻った妹が兄が出来なくなってしまったことを代わっていく形で、
” このまま祭り当日まで、春馬は命の灯を燃やすようにして、ねぶた作りに取り組むだろう。それは春馬の寿命を削ることになるかもしれない。だが、たとえ命を長らえても、春馬がねぶた師として祭りに参加できるのは、今年が最後になる確率が高い。”(p128)
兄のねぶたを形にし、果たして導かれ結末は・・ という流れ。
紐解かれるねぶた祭りの凄み
伊東潤さんというと骨太の歴史上の人物といった前提を有していましたが、本作は焦点が青森ねぶた祭りにあてられ、
” ねぶた祭という祝祭があるからこそ、青森人は自らのアイデンティティを確かめられるのだ。”(p25)
に、
” ねぶたというのは運行、囃子、跳人が大事なんです。配点の割合は知っているでしょう。彼らが気分よく働かないと、点数は出ないんですよ」”(p105)
或いは
” 鯨舟によると、「華麗にして勇壮、哀調にして殺伐、そしてグロテスクなまでの迫力」のあるねぶたが評価されるという。
つまり実際は「勇壮」「華麗」「哀調」「殺伐」「グロテスク(異様さと妖しさ)」といった印象に左右されるものが大きく、これに準じるものとして、技術面に依存することが多い「爆発力(ダイナミズム)「広がり(創造性)」「品格」「色彩」「構図の妙」「テーマ性」などが続くという。”(p162)
と綿密に取材されたであろう背景から、そこで躍動せんとする人たちも思い、リアリティが存分に伝わり、
ねぶた祭は日本の大きなお祭りの一つといった程度のそれまでの捉えを、本作で垣間見れらた想像の上を行くスケール感に、青森県人の並々ならぬ激る思いに触れられたことで、俄然興味の対象として刺激を得られたヒューマンストーリーでありました。
日本屈指の夏の風物詩
冒頭、読了日であえて8月2日と記したのは、
” ねぶた祭は毎年必ず八月二日から始まる。”(p270)
との一文が頭にあったため。
各地域で夏祭りに熱い思いを持った人たちがいることは十分承知していて、好例が青森ねぶた祭なのでしょうが、
映像を通じてでは伝わらぬであろう迫力の体感を先々の楽しみの一つに加えるべく、青森行くならこの時期との刷り込みもしっかり出来ました ^^