音楽評論家 伊藤政則さんが、10日間に渡ってトークイベントのホストを務められる
「政則十番勝負」に参加。
(2019年)6月に参加した ⬇︎
伊藤政則さんのシリーズ化しているトークイベント『遺言』の際に、本企画を知り
「せっかくだし、どれか一つ・・」と顔ぶれを検索して、その(トークイベント)時に購入していた『遺言』に ↙️
時折、大貫憲章さんのお名前が登場していたことから、一番ディープなトークが繰り広げられそうな予感を抱き ^^
四夜目の「全英トップ20 vs ロック・トゥデイ」と題された本回を選択。
ラジオで音楽好きを引き寄せた人たち
伊藤政則さんのイベントスタッフへのプッシュから定刻2分前に開演した(笑)トークは・・
両脇から(相性の)すぬーぴー♪と呼ばれていた今泉圭姫子さんが、湯川れい子さんがDJを務めていた「全米トップ40」のアシスタントDJに起用されたきっかけ
(QUEENが好きで、QUEENがOn Airされる回しか聞いていなかったものの2,000名規模の応募者に対して6名の合格者入り)
に始まり、
番組開始時(1979年)、「QUEENといえば大貫(憲章さん)」と称されるほどの状況で、
初対面の今泉圭姫子さんが「握手してください」という初対面時の状況から、収録を重ねるほど二人の距離が近づいていき、
遅刻癖のある大貫憲章さんに(今泉圭姫子さんが)都度胃の痛い思いをさせられたり ^〜^;A
HANOI ROCKSをはじめとする番組で呼んだゲストにまつわる裏話しであったり。
中途からラジオ日本の他の曲にはない特異性といったことに話しが及び、変わり種のスタッフに
(当時のラジオ日本)社長の鶴の一声から湯川れい子さんの「全米トップ40」、大貫憲章さん&今泉圭姫子さんの「全英トップ20」、伊藤政則さんの「ロック・トゥデイ」が一挙打ち切りの憂き目に遭ったり・・
ラジオが熱かった頃のお話し中心にノンストップで90分。時代を感じさせられたのは
当時、見知らぬバンドがどんどん全英チャート入りしてきて、今とは比べものにならないほどの物流環境に、通信状況でもあったことから
音源確保がままならず、国際電話(受話器)を通じて、曲を電波にのせていたこともあったそうで、当時、皆さんが奔走されていた一片をうかがい知ることが出来た箇所。
ファンへの伝道師たち
私自身は、ラジオで音楽情報を仕入れることはあったものの、どちらかというと、その後のMTV世代というべきか
TV+雑誌を主な情報入手経路としていたため、具体的な記憶に紐づいた舞台裏というところまでは達せずも、
どなたの発言か失念しましたが「聴いている人の数は少ないかもしれないけれど、(投書など)熱意は凄かった」の一言に納得。
今と違い、限られた情報入手手段をもとに、それこそ夜中などにラジオに聞き耳を立てるような感覚はよく理解でき、
トークを通じて、当時の懐かしさを引っ張り出されたり、媒介者としてお三方の果たされた役割の断片を直に聞くことの出来た感謝すべき機会となりました〜