ヤクルトスワローズで短くも曲がり過ぎる高速スライダーを武器に鮮烈な活躍でファンの記憶に強烈な爪痕を残し、
今シーズンまで東京ヤクルトスワローズコーチでコーチを務められていた伊藤智仁さん登壇のトークショーに参加。
開演ギリギリに会場入りすれば・・
立錐の余地もない状態 ^^;
伊藤智仁さんの人気ぶりにガツンとやられ、トークショーにしては珍しく終始立ちっ放しと(苦笑)
今回は、ノンフィクションライター 長谷川晶一さんが伊藤智仁さんを取材し、上梓された
『幸運な男 ー伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生ー』発売記念として開催されたもの。
防御率0.91、鮮烈なるルーキーイヤー1993年の真実
同趣旨のイベントは、開催済みのものを含め数回計画されており、
今回は伊藤智仁さんが鮮烈なデビューを飾ったルーキーイヤーの1993年にフォーカスした内容。
トークショーは長谷川晶一さんとの対談形式で進行。
まず開催のタイミングが、伊藤智仁さんのルートインBCリーグの富山GRNサンダーバーズ監督就任後の初イベントとなったことから、その辺りの抱負から。
もともと監督をやるつもりはなかったそうですが、NPBと異なり、独立リーグは育成に重きを置いているから「選手に一緒に」といった思いに、
スワローズを退団し、しばらくぶらぶらしているうち「体がユニーフォームを欲している」との気づきがあっての経緯であったそうな。
話しはやがて本筋に移行し、前年(1992年)のドラフトに至る各球団との交流録(実際に指名したカープとブルーウェーブが熱心で、スワローズはスカウトとは接触がなかったそうな)に、
入団後のキャンプでは当時、スワローズ投手陣の主力であった岡林洋一さんや西村龍次さんのピッチングを目の当たりにして
岡林洋一さんとの比較:コントロールでは数段上を行かれているが、球速、変化球は勝っている
西村龍次さんとの比較:カーブは良いが、コントロールは・・ (メンタルが強い)
と、プロ入りした当初の選手は「大変なところに入ってしまった」とか、そのような感想をしばし目にしますが、
伊藤智仁さんの場合、早々に手応えを感じていたそうな。
ただ、海外キャンプをはじめとする環境の変化に、コンディションが優れず、開幕は二軍スタート。
徐々に状態を高めていく中、川崎憲次郎さんの負傷戦線離脱により、一軍昇格。
デビュー戦は納得のいく内容でなかったものの、打線の援護もあり、初勝利。
以降、試行錯誤はあったものの、女房役の古田敦也さんの執拗に要求されたフォークボールを習得した5月下旬から軌道に乗り始め、ギアが上がっていったそうな。
7月にはもはやファンの間で伝説となっている讀賣ジャンアンツ戦での奪三振記録樹立に手の届く快投も、篠塚和典さんのサヨナラホームランに沈んで敗戦投手に。
この時は敗戦のショックに、古田敦也さんが野村克也監督にこっぴどく叱られている様に「引いた」との裏話しに・・
トークショー開始前の説明では時間1時間であったところ10分程度オーバー。
讀賣ジャイアンツ戦の快投の翌月、4試合後にはキャリアを左右してしまう故障に見舞われ、
改めて実感させられたのは、プロ野球ファンに鮮烈な記憶を残した伊藤智仁さんの1年目の活躍が僅か2ヶ月半であったということ。
ただ、伊藤智仁さんは、この2ヶ月半があったからファンの記憶に長く残ることになったし、球団も2年超のリハビリに付き合うことになってくれたと(前向き)。
負けん気と人当たりの良さと
トークショーの後は15分程度の参加者からの質問を受ける質疑応答の時間も設けられ、
今の現役で対戦したいバッター?との質問に、メジャーリーグ行きを決断した大谷翔平選手の名を。
「球は速いし、打球は遠くに飛ばすし・・ 100年に1人どころの選手じゃない」との高評価。
最後、伊藤智仁さんだったら、どう攻める・・といったシュミレーションなど、話題は多岐に及び、その後のサイン会を含め軽く90分。
印象的であったのは、ピッチャーらしい負けん気の強さ、例えば落合(博満)、篠塚(和典)、和田(豊)といった名称を堂々と呼び捨て ^^;
但し、嫌味な感じでもなく、野村克也さん、長嶋茂雄さん、石井一久さんの物真似を交えての終始笑いが絶えないトークショー。
本はこれからとなりますが、伊藤智仁さんにつきまとう悲運という感じは希薄、
乗り越えてきた苦難、葛藤は人知れずと思いますが、それはそれとして割り切り、
今はBCリーグへのチャレンジに前向きである姿勢、心構えが今もファンに愛されている源泉かなと。
今回のトークショーは伊藤智仁さんのごく一部、さわりに過ぎなかったと思うので、本で展開されている世界が楽しみです。