先日、中間記をアップロードした
糸井重里さんの『ほぼ日刊イトイ新聞の本』を読了。
もともとは2001年に出版されていた単行本『ほぼ日刊イトイ新聞の本』が、
2004年の文庫本化にあたり、第八章 その後の『ほぼ日』が、加筆されたもの。
単行本刊行時は
” 本をつくろうとした理由は、かなりわがままだったと思う。『ほぼ日』が軌道にのってきた二〇〇〇年の秋頃から、ぼくは『ほぼ日』を作った理由を訊ねられる機会が多くなった。
「いっそ、そういう質問に、ぜんぶ答えておこう」と考えて、この『ほぼ日刊イトイ新聞の本』と、続けて『インターネット的』(PHP新書、二〇〇一年刊)を書いたようなところがある。
自分たちのビジョンを語り、媒体としてのコンセプトをまとめて伝えておけば、あとは『ほぼ日』本体を、一所懸命面白くしていくしかなくなる。”(p329)
本書を手に取る前の先入観では、糸井重里さんの着想から雪だるま式に『ほぼ日刊イトイ新聞』が変貌を遂げていったのかと思いきや
” 更新するページもせいぜい二つか三つくらいしかなかったのに、毎日、徹夜していたような気がする。
「こんな過酷な毎日がずっと続くわけはない。」と思いつつ、仕事の量は加速度的に増していった。”(p152)
という立ち上げ時の状況に、意識の方も
” ぼくは『ほぼ日』にクリエイターとしてのすべてを懸けていた。世間では、「糸井がインターネットというおもちゃを見つけた」と、
まるで『ほぼ日』のことをぼくの旦那芸のように言う人もいたが、自分では片手間のお遊びだという意識ははじめからなかった。
苦労や困難は最初から見えていたが、それでもやろうと決断してスタートさせた。ある意味、五十を過ぎてからの再出発だからリスクも大きい。
インターネットいうまだまだ未開拓の荒野に、新たな実績をゼロからつくりあげなくてはならなかった。”(p205)
という覚悟に基づいてのもの。事業収支的にも糸井重里さんの従来のお仕事からの稼ぎから百万単位で持ち出しが続いた状況から
” 『ほぼ日』は、ビジネスになるかどうかわからない、という出発点からはじまったのだけれど、いまはしっかりビジネスになっている。
税務署からほめられるような会社になったと、ぼくは思っている。いまでも、『ほぼ日』はどうやって経営が成り立っているのか、という疑問を持たれるようだけれど、そんな不安を感じるのも当たり前かもしれない。
『ほぼ日』を作り続けていくためのコストは、わかる人には想像がつくのだろうけれど、まぁ、とんでもない数字になってしまう。
しかし、ちゃんと黒字の会社としてやっていけている。”(p344)
というところまで。
『ほぼ日刊イトイ新聞』 の社史 1.5
『ほぼ日刊イトイ新聞』について、私が初めて聞いたのはお客さんとの雑談で、2002年頃であったように記憶。
冒頭にも書いた先入観とは裏腹に、どのように『ほぼ日刊イトイ新聞』が成長していくのか、設立者の糸井重里さんが、明確に先が見通せていなかった状況から
地道に更新が積み重ねられていく中で、糸井重里さんの覚悟とサイト運営のイニシアチブを確保していくべく頑なに広告バナーの導入を拒否するなどの明確な運営方針は堅持されながら、
世に『ほぼ日刊イトイ新聞』が存在感を築くようになるまでのプロセス、糸井重里さんの頭の中が克明に記されています。
文庫化が2004年なので、以降、さらに進化を遂げていることになり、当時までという但書きはつくでしょうが、
あまたインターネットの世界に目的地(ウェブサイト)がある中で、ビューアーの積極的な支持に基づくサイトが確立されるまでのストーリーとして(私自身に限らず)興味深い読み物であるように思います。