最期までライヴ・パフォーマンスし続けた生き様
目の前に迫り来る状況に終始対応を強いられている状況下から帰宅時「ほっ」と携帯からFacebookにアクセスすれば・・
Johnny Winter:ジョニー・ウィンターの訃報を知る。「え”、ついこの前(4月)日本に来てたばかりなのに」との衝撃。
Johnny Winter, the last stage of
震災後、避難する人も多数の中で来日してくれた心意気
健康面の問題から近年はステージは椅子に座りながらの演奏で、自分が唯一観る機会となった初来日公演初日のライヴも同様。
幸い会場のZepp Tokyoの2階席から眺めであったので、視界に不自由する事は無く、演奏、ブルーズを満喫する事は出来ました。
その前も何回か来日の話しがあっては、聞いたところでは治療に用いている薬物の影響からか入国の手続きが下りなかったり
また、初来日の時は東日本大震災翌月で、環境面等での懸念から来日中止、延期といった流れが一様で
「はぁ、また今回もまたダメかなぁ」なんて思っていたところ、切々と演奏に打ち込む姿が印象的で、感動的ですらありました。
Back to 2011.4.13・・
当時、ライヴ直後の心情をFacebookに下記のように綴っていました・・
” 中学生の時「TOKYO ROCK TV」というTV東京(当時、東京12チャンネル?)の番組で、大友康平(HOUND DOG)がロックンロール・バカとして紹介して以来、ジョニー・ウィンターというミュージシャンが脳裏に焼き付き、あれから20数年、、
一回10年前位に発表になった来日は突如中止に。先日、調べてみたら治療に使ってる薬が日本で麻薬で持ち込めなかったとか。
健康不安説も流れ、そのまま日本に来れないものと思い込んでいたら、この大変な時に来てくれた。
皆が避難したり、帰っちゃったりという最中、足取りも大丈夫?(腰を悪くしていて演奏はずっと座ったまま)という健康状態ながら、黙々とBluesを演奏する様に、特に終演後感慨に浸る。
大友康平のイントロダクションはホントだった。”
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「ロックンロール・バカ」と紹介されて以来の付き合い
自分がJohnny Winterの名前を知る事になったのは、上記記載の如く、ハウンドドッグの大友康平さん(と記憶)が「ロックンロール・バカ」と形容した事が契機
そこから名盤とされる “Live” であったり
本人は、ハードロック寄りのアプローチで気に入っていないようですが ” Winter of 88 ” といった作品にのめり込んだものです。
” Winter of 88 “後半に収録のブルーズの真骨頂
Johnny Winter “Mother Earth”
そんな数多く世に出された中で、自分の思入れのあるアルバムは “Nothing But The Blue”
アルバムを通じて漂う温かみが胸に沁みます。これぞ ブルーズ!
その中からJohnny Winterの人間性が伝わるかの1曲で、自分の感謝の念を天国に届けたいと思います。RIP Johnny –
Johnny Winter “Blue Mood”